削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
41行目:
{{MedalGold|[[2006 ワールド・ベースボール・クラシック|2006]]|野球}}
{{MedalBottom}}
'''金城 龍彦'''(きんじょう たつひこ、[[1976年]][[7月27日]] - )は、[[大阪市]][[東成区]]出身の元[[プロ野球選手]]([[外野手]]、[[内野手]])、[[プロ野球コーチ]]。現役時代、読売ジャ攻守ともに球に食らいつく野性的なプレースタルから「野生児」と呼ばれる事もあった<ref name="sportsbull">{{cite web|url=https://sportsbull.jp/p/452863/|title=プロ野球界・消えたニックネーム伝説 ウルフ、ハマの龍神、マッサ…|publisher=スポーブル |accessdate=2019-07-29}}</ref>。横浜時代ファーム[[2000年]]に[[首位撃兼外野守備コー者]]を獲得し、[[スイッヒッター]]のプロ野球史上最高打率務め記録してい。愛称は「'''金ちゃん'''」''。''<ref>{{cite web|url=https://baseballking.jp/ns/column/140337|title=求む!松井稼頭央以来の“大物スイッチヒッター”|publisher=BASEBALL KING |date
= 2017-12-13|accessdate=2019-07-29}}</ref>。
 
現在は、読売ジャイアンツのファーム打撃兼外野守備コーチを務める。
元[[在日韓国・朝鮮人|在日韓国]]3世で、[[大阪近鉄バファローズ|近鉄バファローズ]]の[[投手]]だった[[金城晃世]]の三男として出生。旧名は'''金 龍彦'''<ref>[http://www.toyo-keizai.co.jp/news/hosenka/2000/post_3535.php <鳳仙花>◆在日のプロ野球4割打者◆]</ref>(キム・ヨンオン、김용언)で、横浜選手時代の[[2000年]]に結婚したことを機に、[[日本国籍]]を取得した<ref name=asahi>朝日新聞 2006年8月9日 34面</ref>。
 
== 経歴 ==
=== プロ入り前 ===
元[[在日韓国・朝鮮人|在日韓国]]3世で、[[大阪近鉄バファローズ|近鉄バファローズ]]の[[投手]]だった[[金城晃世]]の三男として出生旧名は'''金 龍彦'''<ref>[http://www.toyo-keizai.co.jp/news/hosenka/2000/post_3535.php <鳳仙花>◆在日のプロ野球4割打者◆]</ref>(キム・ヨンオン、김용언)で、横浜選手時代の[[2000年]]に結婚したことを機に、[[日本国籍]]を取得している<ref name=asahi>朝日新聞 2006年8月9日 34面</ref>)。子どもの頃から誰にでも優しく謙虚だった父に憧れを抱き、かつての父と同じプロ野球選手を目指すようになる<ref>{{cite web|url=https://www.hamaspo.com/s-yoko-page/clubvols01|title=これまでの道 これからの道 横浜ベイスターズ 金城龍彦選手|publisher=ハマスポ|accessdate=2019-07-29}}</ref>。
 
[[近畿大学附属高等学校・中学校|近畿大学附属高等学校]]時代は[[投手]]で、同期の[[藤井彰人]]とバッテリーを組んでいた。2年生の夏に、大阪大会決勝で[[松井稼頭央]]・[[福留孝介]]を擁する[[PL学園中学校・高等学校|PL学園]]に勝利し、[[第75回全国高等学校野球選手権大会]]に出場。2回戦で[[金子誠]]を擁する[[常総学院中学校・高等学校|常総学院]]に敗退。なお、投手でありながら1番打者を任されていた。
 
59 ⟶ 62行目:
{{by|1999年}}(1年目)、入団を機に打者へ転向し、[[スイッチヒッター]]に挑戦。本来は右打者だが、社会人での4年間に1度もバットを握っていなかったため、ブランクを埋めようと必死に打撃練習に取り組んだ<ref>{{cite web|url=http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=015-20121022-12|title=泥臭く積み重ねてきた1500安打|publisher=週刊ベースボールONLINE|accessdate=2015-08-29}}</ref>。10月3日の対[[中日ドラゴンズ]]戦でプロ初出場。
 
{{by|2000年}}、対[[読売ジャイアンツ]]戦で代打で出場し[[槙原寛己]]からプロ入り初本塁打を記録。その後正[[三塁手]]の[[進藤達哉]]の故障や二番打者の[[波留敏夫]]の成績不振も重なって「2番・三塁」でレギュラーに定着。驚異的なペースでヒットを積み重ね、[[打率]]が一時4割を超え話題となった。8月18日の対[[阪神タイガース]]戦で打率.384で[[規定打席]]に到達した<ref>2001 ベースボール・レコード・ブック 53頁 「2000年度の主な記録と出来事」より。</ref>。そのまま閉幕まで打率トップを維持し、[[首位打者 (日本プロ野球)|首位打者]]のタイトルを獲得し[[最優秀新人 (日本プロ野球)|新人王]]に選出された。同時受賞はプロ野球史上初であり、横浜の選手が新人王となるのは[[齊藤明雄|斉藤明雄]]以来23年ぶりであった。オフにはテレビCMにも出演するなど飛躍の一年となったが、当時、球団が金城の人気を盛り立てようとファンから募集して決まった「ハマの龍神」というニックネームは、あまり定着しなかった。代わりに野性的なプレースタイルから野生児という愛称で親しまれる事のほうが多かった<ref name ="sportsbull" />
 
{{by|2001年}}、三塁手としては[[失策]]が目立ったことや、俊足・強肩を生かすため、新監督の[[森祇晶]]の意向でこの年から[[外野手]]へ本格転向。他球団のマークが厳しくなったこと、サインプレーを好む森監督の采配によって2番打者としての要求が増え、自由な打撃が出来なくなったことなどから打率を大きく下げたが、球団記録となる43[[犠打]]を記録するなど繋ぎ役として活躍。
101 ⟶ 104行目:
2019年は、ファーム打撃兼外野守備コーチ。
 
== 選手としての特徴・人物 ==
プロ入りを機にもともと投手から野手に転向しで右打ちだっのは、150キロのストレートを投げる肩の強さ、身体能力の高さに横浜のスカウトが目をつけたことがきっかけ、プロ入りを機に野手に転向<ref>{{cite web|url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/special/calender/calender_10august/KFullNormal20100801243.html|title=【8月18日】2000年(平14) ついに規定打席!金城龍彦 松井秀喜の3冠阻止する首位打者|publisher=スポニチ|date=2010-8-12|accessdate=2015-08-29}}</ref>。それと同時俊足を活かすためにスイッチヒッターなったのは俊足を活かすためである<ref name="kinjo2011">{{Cite book|和書|author=|year=2011|title=ベースボールマガジン 2011年5月号|publisher=ベースボール・マガジン社|pages=68頁}}</ref>。
 
右打席のときはバットを振り切り、左打席ではフォロースルー直後に一塁へ駆け出す<ref>{{cite web|url=http://www.hochi.co.jp/giants/20141223-OHT1T50191.html|title=金城、バットで“二刀流”!左と右で1センチ違う|publisher=スポーツ報知|date=2014-12-24|accessdate=2015-08-29}}</ref>。上体を突っ込み気味にしながら打つというプロ野球選手でも珍しいバッティングフォームだが、ボールとの距離感を掴むためにはこのフォームが一番打ちやすいという<ref name="kinjo2011"></ref>。ストライクゾーンから離れたワンバウンドしそうな低めの球も体勢を崩しながらヒットにさせるバランス感覚を持ち合わせる<ref>{{cite web|url=https://www.giants.jp/G/gnews/news_399272.html|title=OB松井秀喜さんがキャンプ訪問 大田、岡本両選手に高評価|publisher=読売巨人軍公式サイト|date=2015-02-03|accessdate=2019-07-29}}</ref>。
 
横浜時代の通算8本のサヨナラ安打は球団最多タイ記録である<ref>{{cite web|url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/05/27/kiji/K20140527008243470.html|title=金城 サヨナラ男だ!球団最多8度目の劇打で連敗止めた|publisher=スポニチ|date=2014-05-26|accessdate=2015-08-28}}</ref>。
 
外野守備では肩の強さを発揮させ、守備範囲も広く外野手のアウト寄与率を示す[[レンジファクター]]も二度1位を記録している
礼儀正しく謙虚な人柄である。子どもの頃から人に対してとても優しく謙虚な姿勢の父を見てきたため、その姿をずっと目標にしてきたとのことである<ref>[http://www.hamaspo.com/sport/vol_s001/club.html これまでの道 これからの道 横浜ベイスターズ 金城龍彦選手] SPORTSよこはま</ref>。
<ref>{{cite web|url=https://number.bunshun.jp/articles/-/14049|title=過去20年で最高の外野手は誰だ?~記録で見る真実の「守備力」~|publisher=Number Web|date=2014-05-26|accessdate=2015-08-28}}</ref>。
 
打撃、守備ともに俊足を生かしたプレーをしていたが、盗塁は通算の成功数が40にして盗塁死数が49と顕著に苦手としていた<ref name="sportsbull" />。
 
== 詳細情報 ==