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イドリミの子ニクメプ(Niqmepuh)と、その子[[イリム=イリンマ]](Ilim-ilimma)統治下のアララハの社会経済史は、出土した粘土板によく記録されている。一方、イドリミ自身の名はこれら粘土板には稀にしか登場しない。
 
[[紀元前14世紀]]半ば、ヒッタイトの[[シュッピルリウマ1世]]はミタンニの王[[トゥシュラッタ]](Tushratta)を破り、アララハも含めたシリア北部の支配権を握り、アララハはヒッタイトに併合されたとみられる。粘土板文書では、[[ウガリット]]の王がヒッタイトの王シュッピルリウマ1世に、ムキシュ(Mukish)、ヌハッサ(Nuhassa)、ニイェ(Niye)などの王国がヒッタイトへ反乱を企てていると警告したことを受け、シュッピルリウマ1世はウガリット王国に見返りとしてムキシュの土地(アララハの土地でもある)を譲渡したと書かれている。アララハは[[紀元前12世紀]]、[[アナトリア半島]]海岸部や[[レバント]]の他都市同様「[[海の民]]」に破壊されたとみられ、以後再建されなかった。[[オロンテス川]]河口(現在のサマンダーの近く)にある港湾都市[[アル・ミナ]]が、[[鉄器時代]]以後はアララハに取って代わった。
 
== 発掘 ==