削除された内容 追加された内容
cat+
m編集の要約なし
18行目:
| 特記事項 =
}}
 
'''三好 長則'''(みよし ながのり)は、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の[[武将]]。[[三好之長]]の子で[[三好長秀|長秀]]、[[三好頼澄|頼澄]]、[[芥川長光]]の弟。子に[[三好三人衆]]の1人である[[三好長逸]]がいる。
 
== 略歴 ==
父と兄長光や従兄弟の[[三好新五郎|新五郎]]と共に永正17年(1520年)[[5月5日 (旧暦)|5月5日]]に[[等持院]]で[[細川高国]]・[[六角定頼]]と戦ったが敗北([[等持院の戦い]])、5日後の[[5月10日 (旧暦)|10日]]に長光と共に投降した。父と新五郎が翌[[5月11日 (旧暦)|11日]]に降伏、処刑された翌日の12日に長光と共に処刑された。『二水記』に「壮年者」と書かれているが具体的な年齢は不明<ref>長江、P31 - P33、今谷、P70 - P72。</ref>。