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=== 国共内戦 ===
[[1945年]][[8月18日]]に[[満州国]]が[[ソビエト連邦]]の赤軍の侵攻で崩壊(三日前の[[8月15日|15日]]には[[大日本帝国]]が降伏勧告を受け入れ無条件降伏と全軍の武装放棄を決定・発令している)、[[1945年]][[9月2日]]には[[ポツダム宣言]]受諾の調印があり、[[10月25日]]に[[台湾]]は[[台湾光復|国民党政府に明け渡され]]、日本軍は中国本土から撤退し、国民党政府は[[旅順]]・[[大連]]・[[香港]]・[[マカオ]]を除く中国大陸と、台湾の両地域を領土とした(満州は翌年[[1946年]]5月までソ連軍政下に置かれて東北問題という外交問題になった)。1945年10月に結ばれた[[双十協定]]は失敗し、同年11月から[[国共内戦]]が再開されるが、国共内戦中にアメリカからの支援が縮小されたことや[[法幣]]の濫発が災いして、ソ連が支援する[[中国共産党|共産党]]に対して劣勢に陥り、[[1949年]][[10月1日]] には国民党政府は内戦に敗れ、台湾島に逃れた。このため、中国国民党の実質統治範囲は、建国以来の福建省(馬祖・金門)と、1945年の日本降伏後に連合国として統治していた [[台湾]]島一帯だけとなった。蒋介石に従わなかった国民党の一部は中国大陸にとどまり、[[中国国民党革命委員会]]として中国共産党の衛星政党となった。
 
国共内戦で敗北すると大多数の人物が台湾に逃れたが、四川・雲南方面の部隊は [[タイ王国|タイ]]、[[ミャンマー]]、[[ラオス]]など[[東南アジア]]に逃れ、東南アジアの[[政治]]的混乱に乗じる形で抵抗拠点を築いた。