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== 歴史 ==
村落としてのルガーノに関する初めての記録は、その信憑性について議論がある。それによると、[[724年]]に[[ロンバルド王国]]のリウトプランド王は、[[コモ]]にあった聖カルポフォルス教会に、ルガーノにあったさまざまな財産を譲渡した。[[804年]]ないし[[844年]]の他の文書は、ルガーノ湖を Laco Luanasco と表記していた。[[984年]]の法令は、ルガーノを市場町と記載している。[[874年]]の記録では、ルガーノは Luano と記されたが、[[1189年]]の記録では現在の表記が採用されている。市章も、この頃に作られた。[[1208年]][[10月18日]]から[[1209年]][[11月14日]]までの間に記された文書によると、市章の4文字はルガーノの略語である。ルガーノはドイツ語圏の[[スイスの地方行政区画|カントン]]であることで知られていた。
 
[[第二次世界大戦]]後、特に[[1960年代]]から[[1970年代]]にかけて、イタリアから豊富な資本が流入したことから、ルガーノでは銀行が指数関数的に増加し、スイス第3の経済・金融の中心地となった。現在、ルガーノには100を超す金融機関がある。