「サラエボ事件」の版間の差分

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[[File:Gabrillo Princip's pistol (3444725633).jpg|thumb|180px|プリンツィプが大公フランツ・フェルディナントを殺害したピストル([[FN ブローニングM1910|FNモデルM1910]])]]
爆弾による暗殺が失敗したのを知ったプリンツィプは、大公を帰路で暗殺するにはどの位置にいるべきかを考え、最終的には[[ラテン橋]]の近くにある食料品店(シラーズ・[[デリカテッセン]])の前で待機することに決めた{{sfn|Owings|1984|pp=67-8}}。その頃、市庁舎を出発した車列の1台目と2台目が唐突に右折してアペル・キーを離れ、わき道に入っていった{{sfn|MacMillan|2013|pp=517-518}}。大公が乗る3台目の車の運転手が、前の2台のルートを追って右折しようとした時、同乗していたポティオレク総督は運転手に向かって叫び、道を間違えたから停車するよう指示した{{sfn|MacMillan|2013|p=518}}。運転手がブレーキを踏み、車が停止した場所にはプリンツィプが立っていた{{sfn|MacMillan|2013|p=518}}。プリンツィプは自動車の[[ランボード|踏み板]]に登ると、フランツ・フェルディナントとゾフィーを至近距離から射撃した{{sfn|MacMillan|2013|p=518}}。歴史家ルイジ・アルベルティーニによれば、「最初の弾丸は大公の[[頸静脈]]を傷つけ、2発目の弾丸は女公爵の腹部に致命傷を与えた」という{{sfn|Albertini|1953|p=36}}。プリンツィプは自らを撃って自殺しようとしたが、直ちに群衆によって取り押さえられ、逮捕された{{sfn|MacMillan|2013|p=518}}。プリンツィプはのちに裁判の判決に際して、自分はゾフィーの殺害を意図しておらず、彼女が受けた弾丸はポティオレク総督に向けて放ったものだったと述べた{{sfn|Dedijer|1966|p=346}}。
[[File:Uniform_worn_by_Ferdinand_when_he_was_assassinated_in_Sarajevo.jpg|thumb|left|140px|暗殺時に大公が着用していた軍服]]変えた
ゾフィーは撃たれた直後に意識を失い、フランツ・フェルディナントの膝の上に倒れこんだ{{sfn|MacMillan|2013|p=518}}。大公もまた、治療のため総督公邸に連れて行かれる間に意識不明の状態となった{{sfn|MacMillan|2013|p=518}}。フォン・ハラック伯爵の報告によれば、大公の最後の言葉は「ゾフィー、ゾフィー!死んでは駄目だ。子供たちのために生きてくれ」というものだった。その後、怪我についての伯爵の質問に答えて、大公は6-7回「大したことはない」という言葉を発し{{sfn|Albertini|1953|pp=37–38}}、その後には長い[[死前喘鳴]]が続いた。 ゾフィーは総督公邸に到着した時点で死亡しているのが確認された。大公フランツ・フェルディナントはその10分後に死亡した{{sfn|Albertini|1953|p=38}}。