「ピッグス湾事件」の版間の差分

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[[File:President meets with Secretary of Defense. President Kennedy, Secretary McNamara. White House, Cabinet Room - NARA - 194244.jpg|thumb|right|[[ジョン・F・ケネディ]]大統領と[[ロバート・マクナマラ]]国防長官]]
[[File:BayofPigsPrep3.jpg|thumb|right|ピッグス湾上陸の予行演習を行うキューバ人亡命者]]
大統領選挙に当選したばかりのケネディは、就任前にCIAのダレス長官からこの作戦計画の説明を受けた時はことの重要さと大胆さに仰天した。その後レムニッツァー統合参謀本部議長とバー海軍作戦部長の専門的意見を聞いたがいずれも成功する作戦として問題ないというものであった。
 
1961年4月4日{{efn2|落合信彦著「2039年の真実」では4月4日に開催したことになっているが、フレデリック・ケンプ著「ベルリン危機1961」上巻では4月5日に開催したことになっている。またこの作戦計画にゴーサインを出したのは3月11日で、4月5日に会議を開き、4月7日にケネディはトルーマン政権で国務長官だったアチソンに、このキューバでの作戦計画を明らかにしている。それに対してアチソンは衝撃を受けて「クレイジーだ」と語っている。「ベルリン危機1961」上巻 219-220P}}、キューバでの作戦行動について国務省で最後の会議が開かれた。大統領の他に[[ディーン・ラスク|ラスク]]国務長官、[[ロバート・マクナマラ|マクナマラ]]国防長官、ディロン財務長官、フルブライト上院外交委員長、シュレジンジャー大統領顧問、ダレスCIA長官、カペル副長官、ピッセル担当官、そしてレムニッツァー統合参謀本部議長などの顔ぶれであった<ref>落合信彦著「2039年の真実」167P</ref>。