「少年性愛」の版間の差分

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== 制度的少年愛との違い ==
 
性嗜好での少年愛は、[[文化]]的な[[制度]]に基盤を置く[[少年愛]]としばしば混同され、また社会的な制度的少年愛自体にも、同性愛の要素や、小児性愛の要素、そしてこの「性嗜好での少年愛」の要素が入っていると云える。制度的少年愛は、[[古代ギリシア|古典ギリシア]]の[[社会]][[制度]]や[[伝統]]であったパイドピリア(Paidophilia)がその範型となっており、単に、少年に対し性的嗜好を持つという意味の少年愛とは異なる。
 
しかし、制度的少年愛と平行して、「性的嗜好の少年愛」が存在した/することも事実で、両者には重なっている部分があるので、混同が生じている。比較的に例をあげると、男女のあいだの[[結婚]]の性的関係は、[[近代伝統]]以前的・[[歴史]]的おいては社会的制度であった。しかし、とはいえ男女の性的関係は、これとは独立に存在し、結婚における男女の性的関係と多く重なり合いつつも、違うものと把握されて来た。
 
結婚は男女のあいだの社会的関係として公認されると共に、[[規範]]によって規制された関係であり、[[夫婦]]である男女カップルのあいだに[[愛情]]がなく、性的交渉も事実上なくなっても、両者の[[婚姻]]関係継続していることにながある。これと同様に、制度的少年愛の場合にも、制度から来る「義務的」側面が存在し、年長愛者(エラステース)と年下の少年(エローメノス)のあいだに、必ずしも熱心な恋愛関係や、性的関係が常にあると云う訳ではない。[[少年愛|制度的少年愛]]は、エラステースとエローメノスのあいだの一種の社会的[[契約]]の形でもあり、両者にはこのことの相互認識が存在する(ただし、このように社会慣習としての関係であっても、多くの場合、精神的な恋愛関係や肉体的な性的関係が、制度的少年愛にも一般的に存在する)
 
性嗜好の少年愛の場合は、年長者から少年への一方的な性的嗜好や恋慕で成立し得、片思いであっても、当事者の年長男性にとっては、「性嗜好の少年愛」である。性的嗜好とは、そのようなものだからだとも云える。
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* 年長女性が、何らかの理由で、[[異性愛]]の対象として若い青年または思春期の少年を指向する場合。
これらは、性的嗜好のヴァリエーションだとも云えるが、互いに重なる部分があったり、同じ現象的な類型分類のなかでも、嗜好の心理機制がまったく異なる者の存在が考えられる。個人個人で様々なありようが存在すると考えた方が妥当である。
 
=== 少年同士の性的関係 ===
 
嗜好としての少年愛は、広い意味では、同年齢あるいは年齢が少し異なる少年のあいだでの恋愛関係・性的関係も含むと云える。少年同士の[[友情]]や[[友愛]]から、恋愛関係や性的関係に発展することがあり、その場合、どちらかの少年、または二人共に、[[同性愛]]の心理趨向が存在するケースと、どちらの少年も同性愛への指向はないが、しかし代償的または機会的に恋愛関係等が成立することがありえる。
 
同性のあいだの友情・友愛と同性愛は異なるとする意見があるが、同性愛に[[先天的]]な素因が想定される他方、[[後天的]]に誘導される同性愛が存在するのも事実であり、この観点からは、友愛と同性愛の明瞭な区別はないとも云える。[[成人]]、[[少年]]に関係せず、異なると感じ、考える者にとっては、両者は別のものであり、特に違いを感じない者にとっては、連続した[[性的指向]]または[[性的嗜好]]となる。
 
=== 少年の側からの誘惑 ===
 
性嗜好としての少年愛においては、もう一つ重要なことは、このような恋愛関係・性的関係の成立においては、必ずしも、年長の男性が一方的に少年を性愛等の対象として指向するだけではないことがある。[[発達心理学]]でのモデル構成とも関係するが、文化的な背景や、少年個人の心理的な動機から、男性性や[[男らしさ]]が望ましいとされるとき、少年の側から、望ましい男性への自己受影や、アプローチが行われることがある。
 
あるいは男らしさに限らず、同年齢であるが自分よりも優れていると思える少年や、年長の男性のなかに、[[理想]]としたり、見ならいたいと思う素質や能力があるとき、少年の側で積極的に相手を模倣し、ときに性的な誘惑を行うことがある。[[小児性愛]]や少年との性的関係において、児童や少年の方が関係において積極的であるという事例が存在する。
 
[[学校]]などの[[教師]]に小児性愛者が存在することは認められるが、発達途上の少年にとって、ときに優れた教師は憧れの的でもあり、少年の側から教師に接近するということがかなり自然に起こる。これが性的関係にまで進むかどうかは、当事者それぞれの状況で分かれるが、生徒が教師を慕ったり、敬愛する場合には、[[恋愛]]関係などとのあいだで明確な線が存在しないことがある。同性愛の指向は少年にも存在するのであり、教師や年長の男性が受動的な結果、少年との関係が成立するケースもありえる。
 
=== 男性と少年相互の選択 ===
 
[[少年愛|制度的少年愛]]は、[[戦士]][[社会]]や[[父権制]]社会、または男性優位の文化のある社会においては、少年は何よりも発達の目標や理想モデルとして優れた年長の男性に魅惑されるという事実が、成立の基盤にある。
 
[[古代ギリシア|古典ギリシア]]の市民社会においては、優れた家系の男性、優秀な戦士や有力な[[市民]]として名声を持つ男性から、少年愛の相手として選ばれることは、少年にとっては大きな名誉であった。古典的な少年愛が、[[精神]]性において高く評価され、連綿と伝統を持ったことは、年長男性と少年双方での憧れや理想の選択とアプローチが存在したからである。
 
== 少女愛との関係 ==
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== ショタコンの位置付け ==
 
[[ショタコン]]を生身の少年への性的嗜好とするとき、上記の「性嗜好の少年愛の類型」の四つの代表パターンがすべて該当する。上記類型場合、性嗜好は含めていないが、おける少年同士の恋関係・性的関係は者を[[サブカルチャー]]では[[ボーイズラブ]]ショタコンであるが、ボーイズラブと呼ぶの、実際の少年同士の恋愛関係や性意味関係とは、また別のものに妥当である。
 
他方、少年同士の恋愛関係・性的関係は、[[サブカルチャー]]のフィクション作品では「[[ボーイズラブ]]」がそれに該当するが、ボーイズラブは、実際の少年同士の恋愛関係や性的関係とは、また別のものである。ボーイズラブに描かれるような性格や心理傾向を持つ少年がいない訳ではないが、ボーイズラブのストーリーは現実に起こり得るものではなく概ねフィクションである。
 
ショタコンの場合も、[[フィクション]]の作品として[[漫画]]や[[アニメ]]などで描かれている。これを純然たるフィクションの[[娯楽]][[作品]]として通過できる者がいる他方、現実の自己の[[性的嗜好]]の問題として葛藤に陥る男性が存在する。
 
== 関連項目 ==