「郡内地方」の版間の差分

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人口は総じて相模川(桂川)流域沿いなど山間の平坦部に集まっている。近世に確立した[[郡内織]]が現在でも重要な[[地場産業]]であり、近年は交通が整備され、冷涼な気候や京浜・中京圏から近いことを活かした[[観光]]に力を入れている。
 
中世には武田家とも婚姻を通じた家臣団となった[[小山田氏]]が領し、居館を中津森(都留市)に置く<ref>{{Cite book|edition=Shohan和書|titleauthor=Gunnai丸島 Oyamada-shi和洋 : Takeda Nijūyonshō no keifu|urltitle=https://www.worldcat.org/oclc/864422692|location=Tōkyō|isbn=9784864030953|oclc=864422692|last=Marushima,郡内小山田氏―武田二十四将の系譜 Kazuhiro, 1977- |last2publisher=丸島和洋,戎光祥出版 1977-|date=|year=1977 |publisher=|pagespage=86,87,1. |isbn=9784864030953}}</ref>。「郡内」の呼称が用いられた初見は[[1535年]]([[天文 (元号)|天文]]4年)の『[[快元僧都記]]』の記事。[[武田氏]]本領の「国中」と対比され、戦国期の史料に「郡内」の用語は頻出する。近世には谷村に藩庁が置かれ郡内領となる。国中に対して独自的な地域で、大小切や甲州枡の適用外であり、方言習俗も関東と通じる。
 
== 地域 ==