「浦野烋興」の版間の差分

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=== 衆議院議員へ ===
[[1977年]][[1月16日]]、義父の浦野幸男が心不全のため死去<ref>『[[東海愛知新聞|東海新聞]]』1977年1月18日、1面、「浦野前労相が死去 稲垣氏繰り上げ当選」。</ref>。陣営の幹部は「[[トヨタ自動車|トヨタ]]の意向聴取が先決」と考え、1月19日にトヨタ自動車工業本社で副社長の[[花井正八]]と面会した。陣営幹部が「郷土から第二の浦野を出すべきと思いますが」と述べると、花井はその提案を諒として「社長([[豊田英二]])にもよく話しておく」と答えた<ref>『新三河タイムス』1995年7月6日、1面、「故花井正八氏と豊田周辺 副社長に対し捨て身の直訴」。</ref>。[[1月21日]]、旧[[一色町]]出身の[[稲垣実男]]が[[繰り上げ当選]]<ref>[http://kokkai.sugawarataku.net/giin/r01677.html 稲垣実男 | 衆議院議員 | 国会議員白書]</ref>。「岡崎はここで必ず出してくる」と読んだ浦野幸男の秘書の鈴木紀正は烋興の擁立に素早く動き<ref>[[木村伊量]]「全容 無謀の構図 (20)」 『朝日新聞』1980年11月14日付朝刊、三河版西。</ref>{{Refnest|group="注"|鈴木紀正は1983年9月の[[愛知県議会]]議員補欠選挙(西加茂郡選挙区)で初当選したが、県議2期目の1988年4月21日、西加茂郡[[藤岡町 (愛知県)|藤岡町]](現・[[豊田市]])の工場団地開発を巡る汚職事件で収賄容疑で逮捕された<ref>『[[中日新聞]]』1988年4月22日付朝刊、1面、「藤岡町汚職事件 鈴木愛知県議を逮捕 収賄総額は400万円 工場団地の開発許可促進へ議会で質問」。</ref>。}}、その間陣営幹部は花井との会合を重ねた。花井の指示により、関連会社150社から成る東海協豊会はトヨタ本社役員室で浦野後援会に1,500万円を資金として渡した<ref>『新三河タイムス』1995年7月23日、1面、「故花井正八氏と豊田周辺 内田登場で快哉を叫ぶが 地方政治との関わりと即断即決 1,500万円の受渡しに小島副会長」。</ref>。
 
同年2月23日、東西加茂郡の町村長会および議長会は浦野後援会に対し、烋興を後継者と定めた旨の申し出をし、「豊田市側も早急に烋興を後継者に推薦してほしい」との要望をした<ref>『新三河タイムス』1977年3月6日、2面、「後継に烋興氏推挙 酒井県議代表 二日、出馬申し入れ」。</ref>。四十九日が過ぎて間もなく、酒井鈴夫県議、[[西山孝]]豊田市長らによって後継者問題懇談会が作られた<ref>『[[朝日新聞]]』1980年8月3日付朝刊、22面、「なれ合いの構図 自治体にみる 4」。</ref>。[[3月14日]]、豊田勤労福祉会館で開かれた浦野幸男後援会の総会で烋興を後継にすることが満場一致で可決された<ref>木村伊量「全容 無謀の構図 (21)」 『朝日新聞』1980年11月15日付朝刊、三河版西。</ref>。浦野は豊田通商において総務部総務課長に昇進していたが、3月に退社<ref>『新三河タイムス』1977年3月10日、1面、「親族会議も〝後継〟了承 大平幹事長の秘書として地元とのパイプ役 浦野烋興氏 新体制スタート」。</ref>。4月11日、[[大平正芳]]の[[秘書]]となり、港区[[赤坂 (東京都港区)|赤坂]]の事務所に勤務<ref>『新三河タイムス』1977年4月10日、1面、「浦野氏、秘書就任 11日 大平(旧宏池会)事務所へ」。</ref><ref>木村伊量「全容 無謀の構図 (86)」 『朝日新聞』1981年3月26日付朝刊、三河版西。</ref>。