「阪神甲子園球場」の版間の差分

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1953年10月12日にも日本ワールドシリーズ・[[福岡ソフトバンクホークス|南海]]対[[読売ジャイアンツ|巨人]]の第6試合が開かれたが、有料入場者は6,346人でシリーズワースト記録となった。これは当時の規定に「第1・第3・第5・第7試合と第2・第4・第6試合の使用球場は毎年両リーグが交互にこれを指定する。ただし、第1・第2試合と第3・第4試合と第5・第6試合の使用球場はそれぞれ連続して同一地域にある球場を指定する」とあったためで、この年の偶数試合の球場指定権はセ・リーグ、つまり巨人側にあったためである。
 
1972年9月19日の阪神対巨人22回戦の試合中20時20分に、「3塁側アルプススタンドを20時40分に爆破する」という電話があり、5回裏2死で8番代打[[安藤統男|安藤統夫]]の打席の20時38分に試合が一時中断。不審物は発見されず、12分後試合は再開された<ref>{{cite web|url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/special/calender/calender_august/KFullNormal20070806183.html|title=【8月24日】1972年(昭47) 「巨人ベンチの上に爆弾。7時45分に爆発する」|work=[[スポーツニッポン]]|date=2007-08-24|accessdate=2012-05-18|deadlinkdate=2017-2-28}}</ref>。
 
1973年10月22日の阪神対巨人戦、勝ったチームがセ・リーグ年度優勝を決める試合で、巨人が9-0で勝ち、日本プロ野球記録の9年連続リーグ優勝を決めた。ところが試合終了後、余りに不甲斐ない試合に激怒した阪神ファンがグラウンド内に乱入したため、巨人は胴上げを宿舎で行った。前年の1972年も巨人は甲子園球場でリーグ優勝を決めているが、このときも阪神ファンがグラウンド内に乱入したため、球場での胴上げは中止となっている。これが後に各地の球場のフェンスが高くなった一因とも言われている{{要出典|date=2012年5月}}。さらに2002年、9月24日に巨人がリーグ優勝を決めた際も、警備員は通常より多く配置された。