「陳 (春秋)」の版間の差分

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|国姓=媯姓
|爵位=公爵
|国都=宛丘<br /><small>([[河南省]][[周口市]][[淮陽]])</small>
|分封者=[[武王 (周)|武王]]
|始祖=胡公・[[胡公 (陳)|媯満]]
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'''陳'''(ちん、[[紀元前11世紀]] - [[紀元前478年]])は、[[周|周代]]の[[諸侯|諸侯国]]のひとつ。国姓は媯。
 
周の[[武王 (周)|武王]]が[[舜]]の子孫を捜索して[[胡公 (陳)|媯満]]を見出し、これを陳(現代の[[河南省]][[周口市]][[淮陽]])に封じたのが国の始まりとされる。陳は小国の地位を脱することができず、南方で[[楚 (春秋)|楚]]が台頭すると、これに従属するようになった。[[春秋時代]]には[[晋 (春秋)|晋]]・楚の二大国の争いに翻弄され、さらには[[呉 (春秋)|呉]]の台頭によって圧迫を受けた。紀元前478年に陳は楚の[[恵王 (楚)|恵王]]によって滅ぼされた。
 
余談となるが、話はさかのぼって[[紀元前672年]]に陳の[[利公 (陳)|利公]]の子の[[陳完]]が[[斉 (春秋)|斉]]に亡命した。後にこの陳完の子孫が田氏を名乗るようになった。田氏は斉国内で大きな勢力を持つにいたり、[[紀元前386年]]には公室を簒奪して斉の君主となった。