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== 経歴 ==
栃木県日光町(現 日光市)に生まれる。東京都八王子市在住。栃木県立宇都宮農業高校(現、[[栃木県立宇都宮白楊高等学校]])を卒業後、日本大学経済学部に進学、農業経済学を専攻した。日本大学在学中は陸上競技部に在籍し、[[関東学生陸上競技対校選手権大会]](以下、関東インカレ)、[[日本学生陸上競技対校選手権大会]](日本インカレ)等で活躍。大学4年次には陸上部の主将を務め、関東インカレ、日本インカレ、箱根駅伝で総合優勝した。
日本大学卒業後は渡米し、[[オレゴン大学]]に入学、陸上部に所属した。当時の監督は後に[[ナイキ]]の創業者となるビル・バウアーマンであった。また当時のキャプテンは東京オリンピック100m3位の[[ハリー・ジェローム]]だった。オレゴン大学で陸上を続けていたが、勉学への道を進むことを決心し、陸上競技を引退。[[ウィスコンシン大学マディソン校]](大学院)へ進学。1972年に同大学院にて修士号取得。その後、日本へ帰国し、日本大学文理学部に助手として赴任。のちに専任講師、助教授(現、准教授)、教授。日本大学文理学部在職中の1988年には、ウィスコンシン大学大学院にて博士号を取得した。2013年に定年退職し、日本大学名誉教授。2014年には陸上クラブであるSTTCjapanを設立し、2019年現在も活動を継続している。
 
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== 陸上競技の指導者として ==
1986年、母校日本大学の陸上競技部の短距離コーチに就任し、1989年には監督に就任した。監督時代には13年間で11度の関東インカレ総合優勝(11連覇)、日本インカレ総合優勝7回と日本大学陸上競技部の黄金時代を築き上げた。また監督在任中に陸上競技部監督の[[小山裕三]](2018年現在、関東インカレ・日本インカレ総合7連覇中)を助監督に据え、後進の育成にも精を注いだ。
監督在任中には[[森長正樹]](走り幅跳び日本記録保持者)、[[井上悟 (陸上選手)|井上悟]](100m元日本記録保持者)など多くの五輪選手、日本選手権優勝者を輩出。また監督在任中の関東インカレ、日本インカレの優勝・入賞者も多く育成している。なお、ベルリン世界陸上銅メダリストの[[村上幸史]]、リオ五輪入賞の[[澤野大地]]らも監督時代に陸上部員として在籍していた。現在は2014年に設立したSTTCjapan(陸上クラブ)の代表を務め、陸上競技の指導・普及を行っている。2017年度と2018年度にはアメリカ・ヒューストンにおいてInternational Seminarを開催した。2019年2月にはコロンビア陸上競技連盟の招聘によりユース世代のコーチとしてカリ市で指導した。2019年に開催された東京都中学総体女子1年100mでは指導している選手が1,2,4位、通信陸上では1,2,3位を獲得した。
 
== 世界の陸上関係者との交流 ==