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== 生涯 ==
[[多紀元徳]](藍渓)の長子として生まれる。[[儒学]]を[[井上金峨]]に、医学を父について修めた。安永6年([[1777年]])に将軍・[[徳川家治]]に目通りが許される。寛政2年([[1790年]])、[[老中]][[松平定信]]にその才を信任され[[奥医師]]に抜擢、
考証学者などと交わり、古医学書の蒐集・校訂・覆刻につとめ、のちの[[伊沢蘭軒]]・[[多紀元堅]]・[[小島宝素]]・[[渋江抽斎]]・[[森立之]]らにみる考証医学を確立した。
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