「零式艦上戦闘機」の版間の差分

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連合軍側のコードネームは「'''ZEKE'''(ジーク)」だが、[[支那事変]]([[太平洋戦争]]勃発前の[[日中戦争]])から太平洋戦争初期にかけ、2,200 [[キロメートル|km]]の長大な航続距離・20[[ミリメートル|mm]]機関砲2門の重武装・優れた運動性能で、米英の戦闘機に対し優勢だったことにより、敵[[パイロット (航空)|パイロット]]から直訳の「'''ゼロファイター(Zero Fighter)'''」や「ゼロゼロ(Zero Zero)」と主に呼ばれた。
 
[[太平洋戦争|大戦]]中期以降は、アメリカ陸海軍の対零戦戦法の確立や[[F4U (航空機)|F4Uコルセア]]や[[F6F (航空機)|F6Fヘルキャット]]など新鋭戦闘機の投入で劣勢となるが、後継機[[烈風]]の開発の遅れで、終戦まで日本海軍航空隊の主力だった。また、用途も拡大し、[[爆戦|戦闘爆撃機]]や[[特別攻撃隊|特攻機]]としても使われた。
 
開発元は[[三菱重工業]](以下「三菱」)。三菱に加え[[中島飛行機]]でも[[ライセンス生産]]、総生産数の半数以上は中島製である。<!--三菱の正式名称 三菱航空機→1934年三菱重工業??-->生産数は日本の戦闘機では最多の1万機以上<ref>河野嘉之『図解戦闘機』新紀元社38頁</ref>。