「ジェーン・フォンダ」の版間の差分
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{{ActorActress
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| 画像ファイル = Jane Fonda Cannes
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| 本名 = Jayne Seymour Fonda
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| 備考 = [[ハリウッド名声の歩道]]
}}
'''ジェーン・フォンダ'''('''Jane Fonda''', 本名:Jayne Seymour Fonda, [[1937年]][[12月21日]] - )は、[[アメリカ合衆国
== 経歴 ==
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[[1950年代]]後半より舞台に立ち、[[1960年]]に『のっぽ物語』で映画デビュー。これまで7度の[[アカデミー賞]]候補にノミネートされ、[[1971年]]に『[[コールガール (1971年の映画)|コールガール]]』、[[1978年]]に『[[帰郷 (1978年の映画)|帰郷]]』と、[[アカデミー主演女優賞|主演女優賞]]を2度受賞している。
私生活では、[[1965年]]に[[映画監督]]の[[ロジェ・ヴァディム]]と結婚したが、[[1973年]]に離婚。直後に[[社会運動|社会]]・[[政治活動家]]の[[トム・ヘイドン]]と再婚する。[[1970年]]頃から[[1975年]]頃まで[[ベトナム戦争]]に対する[[反戦運動]]に傾倒し、「ハノイ・ジェーン」と呼ばれた。
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== 父親との確執 ==
[[File:Janet Blair Henry Fonda Smith Family 1970.JPG|thumb|150px|父ヘンリーとのショット(1970年)]]
{{出典の明記|date=2013年10月|section=1}}
幼い頃、実母が父[[ヘンリー・フォンダ]]の浮気を苦にして自殺したと知って以来、父との確執が始まった。父はその後も別の女性との再婚・離婚を繰り返した。ジェーンはことごとくヘンリーに背き、ヴァディムとの結婚も父に知らせないままだった。和解したのは、フランスから帰国してからだという。「フランス行きが私を自立させたのです。私は父を克服しました」とのちに語っている。
[[アカデミー賞]]と無縁だったヘンリーがアカデミー特別功労賞を受賞した際、ヘンリーは「私の人生の一番のハイライトです」と語ったものの、父の本当の胸の内は「現役俳優として主演男優賞が欲しい」と願っていたことをジェーンは知っていた。[[ブロードウェイ (ニューヨーク)|ブロードウェイ]]で人気を博した家庭劇の佳作『[[黄昏 (1981年の映画)|黄昏]]』の映画化権をジェーンは買い取り、主人公をヘンリー、主人公の妻役を[[キャサリン・ヘプバーン]]が演じる。夫婦愛と親子の和解がテーマであるこの作品で、ジェーンは主人公の娘役で出演。完成した『黄昏』は、アカデミー賞で主演男優・主演女優両賞を獲得した。
== ギャラリー ==
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File:Jane Fonda 1963.jpg|1963年
File:Vietnambijeenkomst in cultureel Centrum De Lindenberg te Nijmegen Jane Fonda …, Bestanddeelnr 254-9553.jpg|1975年
File:Jane Fonda 1998.jpg|1998年
File:Jane-Fonda.jpg|2009年
File:Jane Fonda Cannes 2014.jpg|2014年
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== 主な出演作品 ==
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