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=== 中国での紙の発明と改良 ===
[[ファイル:Fangmatan paper map.jpg|サムネイル|中国、放馬灘で発掘された初期の紙の断片。地図が描かれているとされる。]]
世界最古の紙は現在、1986年に中国[[甘粛省]]の[[放馬灘紙|放馬灘]](ほうばたん)から出土したもの「[[放馬灘紙]]」だとされている<ref name="hara15-33" />。この紙は、[[前漢]]時代の地図が書かれており、[[紀元前2世紀|紀元前150年]]頃のものだと推定される。次いで古いのは、[[紀元前140年]]~[[紀元前87年|87年]]頃のものとされる[[ハ橋紙|灞橋紙]](はきょうし)である。灞橋紙は[[陝西省]][[西安市]]灞橋鎮で出土した。こちらは[[銅鏡]]を包む状態であったため、養生目的の[[梱包]]ないしは装飾目的の[[包装]]([[包装紙]])に使用されていたと推測される
 
史書に残された記録では『[[後漢書]]』で、[[105年]]に[[蔡倫]]が樹皮やアサのぼろから紙を作り[[和帝 (漢)|和帝]]に献上したという内容の記述がある。現在は蔡倫は紙の改良者だという説が一般的である。蔡倫による「蔡侯紙」は軽くかさばらないため、記録用[[メディア (媒体)|媒体]]として、従来の[[木簡]]や[[竹簡]]、絹布に代わって普及した。[[西晋]]の時代([[3世紀]])には、[[左思]]の『三都賦』を写すために紙の価格が高騰したという記録が『[[晋書]]』に記載されており、「[[wikt:洛陽の紙価貴し|洛陽の紙価を高からしむ]]」という[[故事|故事成語]]になっている。
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紙は羊皮紙や絹に比べれば安かったが、それでも上流階級を中心に広く使われる高価なものであった。[[11世紀]]の詩人であった[[蘇舜欽]]は、自分が勤めていた役所で出た反古紙(書き損じの使い物にならない紙)を売って、その代金で宴会を開いたために[[横領]]で糾弾されている。反古紙であっても高値で取引されていた様子がうかがえる。清の第5代皇帝は質素・倹約を掲げていたので、重要な公文書などでない限り、紙は裏返して使うように勧めていた。
 
 
==== 日本への伝播 ====
製紙技術は中国から[[7世紀]]までに伝えられた。この技術が改良され、「和紙」となった。欧州から「洋紙」が入ってくるのは安土桃山時代以降、洋紙の本格的な製造は明治時代以降となる
 
布、楮、三椏、麻、梶、桑、雁皮など、材料は色々工夫され、用途に合わせて様々な品質の紙が製造された。しかし日本においても紙は高価であり、ゆえに日本各地の特産物として生産された。一方、紙の再利用も行われており、使用後に裏紙部分に再度筆記([[紙背文書]])したり、漉き直しつまり[[リサイクル]]して使用された。漉直しの紙は「[[漉返紙]](宿紙、紙屋紙)」と呼ばれた。朝廷では[[図書寮]][[紙屋院]]でこの作業が行われており、このリサイクル紙は朝廷の正規の文書でも略式命令(令旨など)などの場合には使用された。
 
欧州から「洋紙」が入ってくるのは安土桃山時代以降、洋紙の本格的な製造は明治時代以降となる。
 
=== イスラム世界への伝播 ===