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==最後の晩餐と聖霊降臨==
[[新約聖書]]にはイエス・キリストが捉えられて十字架刑に遭い亡くなる前の晩に、12人の弟子たちと「[[過越し祭]]」の夕食、「最後の晩餐」を行ったことが伝えられている。参照:[[共観福音書|共観三福音書]](例えば、『[[ヨハネによる福音書]]』26章17~3617-36節)。
 
最後の晩餐ではイエスが[[パン]]を取って弟子たちに分け与えて「これは私の体」、また[[ぶどう酒]]を分け与えて「これは私の血」、と言って自分が亡くなった後もこのように行うように言っている。[[クリスチャン]]は教会で毎日曜日または定期的に[[聖餐式|この儀式]]を行なうという重要な事柄になっている。
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[[File:Jerusalem Cenacle BW 5.JPG|thumb|right|150px|[[シオンの丘]]にある「上の部屋」が「[[最後の晩餐]]」の場であったとされて、公開されている。]]
 
最後の晩餐が行われた場所について、「[[ルカによる福音書]]」22章9~12節には
:(弟子の){{quotation|二人が「どこに(過ぎ越しの食事を)準備用意いたしましょうか」と言うと、イエスは言われた。「...す都に入ると、水がめを運んでいる男に出会う。その人が入る家までついて行き、家の主人にはこう言いなさい。『先生、「弟子たちと一緒に過越の食事をする部屋はどこか」とあなたに言っています。』 すると、席の整った二階の広間を見せてくれるから、そこに準備しておきなさい。」二人が行ってみると、イエスが言われたとおりだったので、過の食事を用意準備した。<br>   【|日本聖書協会『[[新共同訳聖書]]、括弧()内は引用者のコメント】』|[[ルカによる福音書]] 22章9-13節}}
記載されている。また、『マルコによる福音書』(14章12~1712-17節)にも同様な記述がある。
 
イエスの死後、弟子たちに[[聖霊]]が初めて下った([[ペンテコステ|聖霊降臨]]」が下った)といわれるについて、「使徒言行録」1章13~14節に箇所では、
{{quotation|彼らは都に入ると、泊まっていた家の上の部屋に上がった。それは、ペトロ、ヨハネ、ヤコブ、アンデレ、フィリポ、トマス、バルトロマイ、マタイ、アルファイの子ヤコブ、熱心党のシモン、ヤコブの子ユダであった。彼らは皆、婦人たちやイエスの母マリア、またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていた。 |日本聖書協会『[[新共同訳聖書]]』|[[使徒言行録]] 1章13-14節}}
:彼ら(使徒たち)は都に入ると、泊まっていた家の上の部屋に上がった。<br>   【同上】
と記してい載されおり、「上の部屋」がまた再度登場する。
 
こうした最後の晩餐と聖霊降臨の場所ははっきりしないが[[西方教会]]では伝統的に[[エルサレム]]の[[シオンの丘]]の{{仮リンク|ダビデの墓|en|David's Tomb}}にある建物の{{仮リンク|セナクル|en|Cenacle}}であるとして保存、公開されている。