「上を向いて歩こう」の版間の差分

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=== 日本以外でのヒット ===
1962年、[[ヨーロッパ]]でこの曲が紹介され、大ヒットした。[[フランス]]などでは原題と同じ意味のタイトルで発売されたが、[[イギリス]]では「[[:en:Sukiyaki_(song)|SUKIYAKI]]」、[[ベルギー]]や[[オランダ]]では「忘れ得ぬ芸者ベイビー」と意味不明な曲名で発売された(もっとも日本でもビートルズの「[[A Hard Day's Night|A HARD DAY'S NIGHT]]」を「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」とするなど原題とかけ離れたタイトルで国外曲を販売する例は枚挙にいとまがない)
 
1962年、イギリスの[[ディキシーランド・ジャズ]]のトランペッター、{{仮リンク|ケニー・ボール|en|Kenny Ball}}が彼のバンドでインスト曲として演奏し、「SUKIYAKI」(無論、曲自体に『すき焼き』という単語は出てこない)というタイトルで発売、全英チャートで10位にランクインした。
 
「SUKIYAKI」という曲名は、ケニー・ボールの所属したイギリスのパイ・レコードの社長ルイス・ベンジャミンが契約の話で来日した際、土産にもらった数枚の日本のシングルレコードをホテルに帰ってから聴いた中にあった「上を向いて歩こう」を大変気に入り、帰国後ジャズでリリースすることに決めた。その際レコードには日本語のタイトルしか印刷されておらず、『原題の「UE O MUITE ARUKOU(上を向いて歩こう)」のタイトルがわからず、日本で契約の際に会食した「スキヤキ」が心に残る食べ物だった』という理由で、日本料理の名前を付けたものだと言われている。しかしケニー・ボールの証言では、「上を向いて歩こう」ではタイトルが長くなってしまうので短くわかりやすい日本語の曲名をつけたかったが彼が知っていたものが「SUKIYAKI」と「SAYONARA(さよなら)」ぐらいだったため、「サヨナラ」では暗すぎるのでどうすれば良いかと思案していたが、中華料理屋での会食で同席していた友人の女性歌手[[ペトゥラ・クラーク]](当時の彼女は仏ヴォーグ・レーベルに所属していたが、英国でのレコード発売権をパイ・レコードに委託している)に相談したところ「SUKIYAKI」がいいと言われたこともあって、そうすることにしたとのことである。なお原題の英語での直訳は「I LOOK UP WHEN I WALK」で特段長いタイトルではないが、当時の音楽界としては長いとみなされた
 
実はケニー・ボールはレコーディングの直前に最愛の母を亡くしており、その哀しみをトランペットに込めて演奏(本人の談によれば曲の雰囲気を出すために何と[[おまる]]を使ったとのこと)、これもヒットにつながった要因の一つといえる。