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==宗教==
グプタ朝は[[ヒンドゥー教]]を国家の柱として位置づけ、アシュヴァメーダ(馬祀祭)などの[[ヴェーダ]]の儀式を挙行し、バラモンを統治体制の一部に組み込んだ。村落へのバラモンの移住が始まるのもこの時代である。バラモンは農村にて租税免除などの特権を与えられ、先進技術や学問を農村に伝えるとともに農村の秩序維持の役目を果たした。また、王家は[[ヴィシュヌ]]神を特に信仰し、「至高のヴィシュヌ信者」との称号を持ち、バラモンの言葉である[[サンスクリット語]]を公用語とした<ref>辛島昇・前田専学・江島惠教ら監修『南アジアを知る事典』p207 平凡社、1992.10、ISBN 4-582-12634-0</ref>。一方で、[[ナーランダ大学|ナーランダ僧院]]がこの時代に設立されるなど、仏教などほかの宗教が迫害されることはなく、これらも庇護を受けた。しかし、インドにおける仏教は教学研究は盛んになったものの、この時代から衰退に転じるようになった<ref>「インド仏教史(下)」p5-6 平川彰 春秋社 2011年9月30日新版第1刷発行</ref>
 
==社会==