「チャンバラトリオ」の版間の差分

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===元メンバー===
*'''南方英二'''(みなかた えいじ、[[1932年]][[11月21日]] - [[2010年]][[2月26日]])
:本名は楠本喜八郎(くすもと きはちろう)。[[和歌山県]][[田辺市]]出身。頭(かしら、「経歴」の項で後述)、ハリセン係。[[和歌山県立田辺高等学校]]卒業。兄で俳優だった[[楠本健二]]を頼って[[1955年]]7月に東映に入社。「東映剣会」幹部。[[萬屋錦之介]]に師事。[[1965年]]に明治座で初舞台。趣味は[[競輪]]で、ゲストとして競輪中継への出演歴も多数ある<ref>その競輪で、家を2軒分手放したことがある。また、[[阿佐田哲也]]編、『競輪痛快丸かじり』([[徳間書店]])によると、[[競輪学校]](1950年に創設)がなければ、自分は競輪選手になっていた、と述べている。</ref>。晩年は映画・Vシネマでのバイプレーヤーとしても活躍した。[[和歌山県立田辺高等学校]]卒業。2010年2月26日20時33分、[[肝硬変]]のため大阪府内の病院で死去。{{没年齢|1932|11|21|2010|2|26}}。
*'''伊吹太郎'''(いぶき たろう、[[1937年]][[5月31日]] - )
:本名及び東映時代の芸名は伊吹幾太郎(いぶき いくたろう)。京都府京都市出身。ボケ担当。主にハリセンの叩かれ役。[[久米宏のTVスクランブル]]での「ハリセンおじさん」でも改めて有名になった。「東映剣会」会員で、[[大友柳太郎]]に師事。1965年に明治座で初舞台。1994年に経済的な理由で吉本興業との専属契約を解除され脱退。夫人は[[吉本新喜劇]]のヒロインだった[[片岡あや子]]。