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[[20世紀]]初頭から、散発的な障がい者スポーツの大会は記録されているが、当大会の起源とされているのは、[[1948年]][[7月28日]]、[[1948年ロンドンオリンピック|ロンドンオリンピック]]開会式と同日に、[[イギリス]]の[[ストーク・マンデビル病院]]で行われた[[世界車いす・切断者競技大会|ストーク・マンデビル競技大会]]とされる。これは、[[戦争]]で[[負傷]]した[[兵士]]たちの[[リハビリテーション]]として「[[手術]]より[[スポーツ]]を」の理念で始められたものである。
 
ストーク・マンデビル病院には、[[第二次世界大戦]]で[[脊髄]]を損傷した[[軍人]]のリハビリのための[[診療科|科]]が専門にあり、[[ドイツ]]から[[亡命]]した[[ユダヤ人|ユダヤ]]系[[医師]][[ルートヴィヒ・グットマン]]の提唱により、この日、車椅子使用入院患者男子14人、女子2人による[[アーチェリー]]競技会が行われた。この競技会は当初、純然たる入院患者のみの競技大会であったが、毎年開催され続け、[[1952年]]には国際大会となり、第1回国際ストーク・マンデビル競技大会が開催された{{efn2|参加国はイギリスと[[オランダ]]の2カ国。}}
 
[[1960年]]には、グットマンを会長とした国際ストーク・マンデビル大会委員会が組織され、この年のオリンピックが開催された[[ローマ]]で、第9回国際ストーク・マンデビル競技大会が開催された。この大会は現在、[[1960年ローマパラリンピック|第1回パラリンピック]]と呼ばれている。
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第2回大会は、[[1964年]]にこの年の夏季オリンピックが開催された[[東京]]で、第13回国際ストーク・マンデビル競技大会が行われた。大会は2部構成で、第1部が国際ストーク・マンデビル競技大会、第2部は全ての身体障害を対象にした日本人選手だけの国内大会として行われた。現在、国際的には第1部のみが[[1964年東京パラリンピック|パラリンピック東京大会]]とされているが、日本国内では第2部の国内大会を合わせて呼ばれることがある。
 
当大会をオリンピック開催都市と同一都市で行う方式は、東京大会後は定着せずいったん中断することとなり<ref>{{efn2|この大会で実現した「全ての身体障害者の大会」も定着せず、この後も国際大会は車椅子競技者のための国際ストーク・マンデビル競技大会のみが行われた。</ref>}}、[[1972年]]の[[1972年ハイデルベルクパラリンピック|ハイデルベルク大会]]で復活する。
 
[[1976年]]、国際ストーク・マンデビル競技連盟と国際身体障害者スポーツ機構との初の共催で[[1976年トロントパラリンピック|トロント大会]]が開催され、同年、第1回冬季大会、[[1976年エーンシェルドスピークパラリンピック|エーンシェルドスピーク大会]]も開催された。
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国際ストーク・マンデビル大会には、各大会において「[[愛称]]」が付けられることがあり、1964年の第13回国際ストーク・マンデビル大会(東京大会)では「パラリンピック」の名称が考案され、大会のポスター等にも使用された。1976年のトロント大会では、脊髄損傷者に加え視覚障がい者と切断の選手が出場したことから、「Olympiad for the Physically Disabled」や、「Torontolympiad(トロントリンピアード)」などの名称が使用された。<ref>[http://www.jsad.or.jp/paralympic/what/history.html 日本パラリンピック委員会|パラリンピックとは|パラリンピックの歴史]</ref><ref>[http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/prdl/jsrd/norma/n197/n197_026.html 特集/もう1つのオリンピック 日本の3月、パラリンピック。 パラリンピックの歴史]</ref>
 
IOCは、[[1985年]]に「パラリンピック」を大会名として用いることを正式に認めた(IOC{{efn2|IOCはオリンピックとは全く無関係な大会にオリンピック類似の名称を使うことに対し、永らく難色を示していた。}}。同時に、既に半身不随者以外の身体障害者も参加する大会となっていたことから、大会名の意味を「ギリシャ語のパラ('''Para'''、(英語の[[パラレル]]([[平行]])の語源)+オリンピック(Olympic Games)」とし、「もう一つのオリンピック」として再解釈することとした。これに伴い、[[1988年]]のソウル大会から、「パラリンピック」が正式名称となるとともに、1960年のローマ大会以後の国際大会を、遡及的に「パラリンピック」と表記することになった。
 
== シンボル ==
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たとえば、[[肢体不自由]]などの障害の場合は「LW」<!-- {{要検証範囲|date=2012年8月|や「LC」}} -->等の競技ごと・障害の種類ごとの記号+度合いを数字で表す。障害種は「[[運動機能障害]]」「[[脳性麻痺]]」「[[切断 (外科学)|切断]]など」「[[視覚障害]]」「[[車いす]]」などがある。
 
2017年現在、知的障害者に関しては一部の競技に参加出来るが<ref>{{efn2|夏季大会は[[1996年アトランタパラリンピック]]、冬季大会は[[1998年長野パラリンピック]]から参加が認められたが、[[2000年]]の[[シドニーパラリンピック]]において、出場した健常者選手による知的障害者偽装が発覚したことを契機に、知的障害者選手はしばらく参加出来ず、参加復活は夏季大会に関しては[[2012年ロンドンパラリンピック]]からであった。冬季大会に関しては、最短でも[[2022年北京パラリンピック]]まで待つこととなる。</ref>}}、聴覚障害者、精神障害者は参加出来ないため、それぞれデフリンピック、スペシャルオリンピックスに参加している。
 
ロンドンパラリンピックにおいては、陸上競技トラック種目(T)の階級は、T11〜T13は視覚障害、T32〜T38は脳原性麻痺、T42〜T46は切断・機能障害、T51〜T54は脳原性麻痺以外の車いす使用者となっていた。さらに、T11及びT12の選手は伴走者(ガイドランナー)と競技を行うことができるなど細かいルールが定められている。一方、視覚障害者のみによる競技である柔道は、障害によるクラス分けはなく、オリンピックと同様に体重別クラス分けのみとなっている。
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2013年9月に、[[2020年東京オリンピック|東京オリンピック・パラリンピック]]の開催が決定したことで、「パラリンピック」という言葉が完全に市民権を得た。また、この招致活動においてブエノスアイレスで行われたIOC総会の最終プレゼンテーションでスピーチを行った[[義足]]のスプリンター[[佐藤真海]]にも注目が集まり、彼女が2014年のソチパラリンピックの[[聖火リレー]]走者を務めたことが大きく報じられた。
 
2014年のソチパラリンピックでは、NHKが初めて地上波で開会式を中継することが発表された<ref>[http://www1.nhk.or.jp/sports2/para2014/hoso/index.html 全力応援!NHKソチパラリンピック2014]</ref><ref>[http://www.yomiuri.co.jp/olympic/2014/paralympics/20140109-OYT1T01087.htm 冬季パラリンピック開会式、NHKが生中継へ - YOMIURI ONLINE]</ref><ref>{{efn2|夏季大会では2004年のアテネパラリンピックから開会式を生中継している</ref>。}}。[[Youtube]](配信元はParalympicSportTV)でも開会式をライブ配信を行った。
 
[[2016年リオデジャネイロパラリンピック]]では、次回の[[2020年東京パラリンピック]]の開催を念頭に置き、これまで以上に放送体裁を強化し、現地のナイトセッションで行われる注目競技を[[NHK総合テレビジョン|総合テレビ]]・[[NHKラジオ第1放送|ラジオ第1放送]]で生中継を中心に放送<ref>[http://sports.nhk.or.jp/paralympic/tv-guide/index.html 放送予定]</ref>するほか、総合テレビでは連日22時台を中心に「パラリンピックタイム」、[[NHK教育テレビジョン|Eテレ]]では20時台を中心に「みんなで応援!リオパラリンピック」と題して競技のダイジェスト中継を実施した。特にEテレのそれは、「ユニバーサル放送」と称して、競技の実況に、聴覚・言語障碍者向けにワイプ画面による[[手話]]通訳と[[リアルタイム字幕放送]]、視覚障碍者向けにも[[解説放送|競技場面やルールなどの解説放送]](ステレオ2。総合テレビの「パラリンピックタイム」、一部競技中継も同)を交えながら、障害者にも楽しめるような内容を提供している<ref>[http://sports.nhk.or.jp/paralympic/ NHKリオパラリンピック公式サイト]</ref>。
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:[[ドーピング]]検査はソウル大会から実施され、オリンピックと同様、厳格に実施されているが、選手が常用する医薬品に禁止物質が含まれている場合、禁止物質を含まない医薬品を処方してもらうか、治療目的使用に係る除外措置(TUE)<ref>公益財団法人日本アンチドーピング機構 [http://www.playtruejapan.org/testing_tue.php TUE]</ref>を[[国際競技連盟]]に申請するなどの対応が必要となる。
::ブースティング
:::ブースティングとは意図的に引き起こされた[[自律神経過反射]]<ref>({{efn2|重度の脊髄損傷障害者に見られる症状で、急激に発症する高血圧と頭痛などが特徴)</ref>。}}のことで、ドーピング禁止行為には含まれてはいないが、IPCハンドブックなどにより禁止行為とされている。精神的・心理的興奮を促し競技能力が高まることがあるとされるが、[[脳出血]]を引き起こす可能性があるなど命に係わる危険行為である<ref name="post"/><ref>[http://www.jaafd.org/pdf/kyouka/boosting.pdf 日本身体障害者陸上競技連盟HP内 日本パラリンピック委員会 ブースティングについての考え方]</ref>。
;機具
:[[車椅子]]や[[義足]]などの機具を使う競技において、最先端の機具は[[スポーツ医学]]や[[人間工学]]、[[機械工学]]、[[材料工学]]などを駆使し、選手の体格に合わせたオーダーメイドで製作され、軽くフィットするようになっている。これらの機具は数十万円~100万円以上と高額になるが、このような機具を買えるのは経済的に豊かな(もしくはスポンサードを受けている)選手のみであり、結果的に[[開発途上国|途上国]]よりも[[先進国]]の選手が有利になってしまいがちである。
:日本では、生活用義足に[[医療保険]]が適用されるが、スポーツ用は一切適用されず、個人で全額を負担しなければならないため、金銭的理由で出場を諦める選手も出ている<ref name="post"/>。
:[[1988年ソウルパラリンピック]]以降、{{仮リンク|オットーボック|en|Otto Bock}}<ref>{{efn2|パラリンピックのワールドワイドパートナーの1社である。</ref>}}による[[車椅子]]・[[義肢]]などの無料修理工場が整備され、[[義肢装具士]]などが少なく、費用も高い開発途上国の選手にとって、これらのサービスが無料利用できる事は、大会への参加動機にもなっている<ref>2016年11月29日22時25分(放送)NHK総合テレビ「修理工場は眠らない パラリンピックを支えた職人たち」</ref>。
;障害の偽装
:[[2000年]]の[[2000年シドニーパラリンピック|シドニー大会]]男子[[バスケットボール]][[知的障害]]クラス[[金メダル]]の[[スペイン]]チームに[[障害者]]を装った[[健常者]]がいたことが発覚し、[[2002年]]の[[2002年ソルトレイクシティパラリンピック|ソルトレイク大会]]から知的障害者クラス<ref>{{efn2|知的障害者の競技は、IPC加盟団体のひとつである国際知的障害者スポーツ連盟(以下INAS-FID)によるワールドカップが競技ごとに開催されているほか、日本国内の大会では知的障害者クラスも一緒に大会が行われている。この他、INAS-FIDとは別に、知的・発達障害者の競技大会としてスペシャルオリンピックスが実施されている。</ref>}}を実施しないことになった。これは、IPC加盟団体であるINAS-FIDが、[[障害]]の選手資格の基準を再度明らかにし、各国の国内パラリンピック委員会(NPC)とも調整を行わなければ、復帰は難しいという状況を明らかにしたからであり、これから先の大会で実施するかどうかは、その都度、各国NPCの競技運営のモラル次第という厳しい結果となった。
:その後、2012年開催の[[2012年ロンドンパラリンピック|ロンドン大会]]では、知的障害者クラスに関し、「障害認定の厳格化等の条件を満たした」とIPCから承認を受けたいくつかの競技・種目が再び実施された。IPCは、ロンドン大会では医師の証明書や実技試験を課す国際基準を作成したが、実効性には疑問の声がある<ref name="post"/>。
;商業化
:観客が増え、ロンドン大会では史上最多270万枚のチケットが売れ、約4,500万ポンド(約56億円)の売上を記録。[[南アフリカ共和国]]の[[オスカー・ピストリウス]]選手は数多くのCMで巨万の富を得ている。一方でオリンピックに比べ強化費が少なかったり、助成金やスポンサーが集まらない選手も多い<ref>[http://mainichi.jp/articles/20160218/k00/00e/050/205000c 障害者スポーツ:依然少ない助成金 スポンサー探し奔走中 - 毎日新聞]</ref>。また、競技に参加どころか生きること自体が難しい国もある<ref name="post"/>。
;報奨金
:各国が[[報奨金]]で障害者スポーツ振興を図っているが、日本でもJPSAが実施し、[[2008年北京パラリンピック]]以降の金メダリストに100万円、銀メダリストに70万円、銅メダリストに50万円が贈られた。のちに増額され、[[2014年ソチパラリンピック]]以降の金メダリストに150万円、銀メダリストに100万円、銅メダリストに70万円となった。将来的には[[日本オリンピック委員会]]の報奨金と同額{{efn2|金メダリスト300万円(リオデジャネイロオリンピックからは500万円)、銀メダリスト200万円、銅メダリスト100万円}}とすることを目標にしているが、財源確保のための協賛企業の確保をいかにしておこなうか、そのためには大会自体のブランド価値を高めるという課題が残る<ref>2014年5月21日 中日新聞朝刊</ref>。
 
== 選手 ==
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:[[アメリカ同時多発テロ事件]]以降はアメリカと同盟国の軍事行動により、身体に障害を負った傷痍軍人が増え、原点回帰ともいえる状況となっている。兵士は障害者となる前からトレーニングを積んでいるため基礎的な身体能力が高く、障害を負ってからスポーツを始めた者より優位との見方もある<ref name=nhk />。
 
== 出典・脚注 ==
=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
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== 関連項目 ==