「二条城」の版間の差分

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=== 足利義輝の二条御所武衛陣の御構え ===
[[永禄]]8年([[1565年]])、戦国乱世のただなかにあって義輝は幕府の重鎮であった[[斯波氏]]の屋敷跡に自らの城を築いた。武衛とは斯波氏の職名を由来とし、その屋敷は洛中洛外図にも「ぶえい」として登場する。現在の旧二条城跡地の地名が「武衛陣町」であるのはこれを由来としている。堀もあったが完成寸前(「京公方様御館の四方に深堀高塁長関、堅固の御造作有り。未だ御門の扉以下は出来(しゅったい)せず」『足利季世記』)に[[三好三人衆]]らの襲撃を受け、義輝は落命した([[永禄の変]])。変後、跡地には[[真正極楽寺|真如堂]]が移された。
 
=== 足利義昭の二条城 ===