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== 歴史 ==
=== 開発 ===
イギリスは[[第二次世界大戦]]終結までに国産自動小銃を配備しなかった数少ない大国の1つであり、1950年に勃発した[[朝鮮戦争]]でも従来型の大口径フルサイズ弾である[[.303ブリティッシュ弾]]を用いる[[リー・エンフィールド|リー・エンフィールドNo.4]]小銃が標準的に配備されていた。一方で、イギリス陸軍では1945年末頃からブルパップ式小銃の開発に着手しており、また[[軍需省 (イギリス)|軍需省]]主導で設置された委員会での試験と検討を経て、新型銃用小銃弾の理想的な口径は.250から.270程度とされた。1947年3月、委員会は複数設計された試作小銃弾のうち、.270弾(6.8x46mm)と{{仮リンク|.280ブリティッシュ弾|label=.280弾|en|.280 British}}(7x43mm)<ref group="†">当初は.276弾と呼称されていたが、後に{{仮リンク|.276エンフィールド弾|en|.276 Enfield}}や{{仮リンク|.276ピダーセン弾|en|.276 Pedersen}}との混同を避けるため.280口径弾と改称された。</ref>の開発継続を決定した。.280口径弾は委員会が定めたものより大口径だが、これは長射程と単発あたりの安定した威力を求めるアメリカを意識したものである。その後、サイズを[[.30-06スプリングフィールド弾|.30-06弾]]に近づけた.280/30弾が設計された。1951年、.280弾を用いる自動小銃として[[EM-2|No.9小銃]](EM-2)の採用が決定した。しかし、最終的には、.30-06弾とほぼ同スペックのアメリカ製[[7.62x51mm NATO弾|7.62x51mm弾]]がNATO標準弾として採用されたため、独自弾薬を使用するNo.9小銃は同年中に採用が撤回され、1957年には[[FN FAL|FAL小銃]]を国産化した[[L1A1]]小銃(SLR)が改めて採用された<ref name="SA80_MHEW">{{Cite web |author= |date= |url= http://www.historyofwar.org/articles/weapons_SA80.html |title= SA80 (Small Arms for the 1980s): The Sorry Saga of the British Bulldog's Bullpup |work= |publisher= Military History Encyclopedia on the Web|accessdate=2017-06-22}}</ref>。
 
1960年代後半、イギリスでSLRの更新が検討され始めた。7.62x51mm弾はイギリスが理想としたものに比べて非常に強力でありすぎフルオート連射時の反動の大きさから自動小銃に適した小銃弾ではないと考えられていた。第二次世界大戦や朝鮮戦争での戦訓を検討した結果、新型小銃弾の最大射程は400m程度が最適とされた。1970年、[[ロイヤル・スモール・アームズ・ファクトリー|エンフィールド造兵廠]]に対し、陸軍火器総監<!--Director General Weapons (Army)-->は1971年末までに以下の事項について研究を完了するよう命じた。
 
* 次期火器が何を対象物として射撃を行うかを明確にすると共に、対象物の撃破を判断するための基準を定めること。
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* 堅実な設計を行う。
 
1976年6月14日、NATOにおける新たな標準小銃弾の検討が始まる1年前、新型小銃弾[[4.85x49mm弾]]を用いる新型火器のシステムが発表された。この時に公開されたプロトタイプの評判は良好だったため、国防省では同システムが問題なく採用され、また4.85x49mm弾がNATO標準弾に採用されることを期待した。しかし、当時すでにアメリカや一部の同盟国が既に採用していた5.56x45mm(M193弾)が有力な候補とされ、これを元にベルギーで設計されたSS109弾が新たなNATO標準弾として採用されることとなった。
 
この時点で、イギリスの新型火器システムは{{仮リンク|L64/65|label=XL64|en|L64/65}}およびXL65小銃という仮名称が与えられていたものの、開発初期段階のため、依然として様々な不良が残されていた。新たな標準弾の採用を受け、5.56mm仕様への再設計および基本設計の改善が同時に進められることとなった。このため、開発コストは増し、配備開始日時(In-Service Date)は延期された。5.56mm仕様のプロトタイプは3種類試作されたものの、いずれも試験結果は振るわなかった。1981年に開始された兵器委員会(Ordnance Board)による審査では実戦を想定した各環境での試験が行われたが、寒冷地試験などの環境再現が不十分だったこともあり、潜在的な欠陥の洗い出しに失敗していた。1981年から1984年にかけて実施された歩兵試験評価隊(Infantry Trial and Development Unit, ITDU)での試験も不十分なものだった。それにも関わらず、1982年に{{仮リンク|ジョン・ノット (政治家)|label=ジョン・ノット|en|John Nott}}国防相が、エンフィールド造兵廠のごく近い将来における民営化の予定を発表したことも影響し、エンフィールド造兵廠とITDUは新型火器について共に肯定的な最終報告を提出した。1984年1月に行われた制式採用に向けての検討会議でも試験は徹底されず、最終的にはいくつかの問題点を認めつつ、最新モデルでは既に改良が加えられているとして、さらに何点かの改良を加えるならば、IWおよびLSWは実戦運用に差し支えはないと判断された。1984年9月13日、十分な改良が行われたとして制式採用に向けての合意が結ばれた<ref name="SA80_MHEW"/>。