「ジェーン・フォンダ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
らる山 (会話 | 投稿記録)
m編集の要約なし
58行目:
 
== 政治活動 ==
[[ベトナム戦争]]中のアメリカでは、「リベラル」系の作家や評論家などの文化人や俳優、歌手などの芸能人による[[反戦運動]]が盛んに行われていた。フォンダは[[1970年]]の[[ワシントンD.C.]]での反戦集会参加を機に反戦運動を始めた。[[1971年]]にベトナム戦争復員軍人による反戦活動[[VVAW]]の公聴会を支援し、資金集めのために全米各地で集会を開く<ref>{{cite book |url=http://books.google.co.uk/books?id=5hq2_JFvV0kC&dq=%22jane+fonda%22+%22honorary+national+coordinator%22+-wikipedia&client=firefox-a |title=Home to war: a history of the Vietnam veterans' movement |last=Nicosia |first=Gerald |year=2004 |isbn=978-0-7867-1403-2 |publisher=Carroll & Graf |page=73}}</ref>。VVAWの活動には[[2004年]]に[[民主党 (アメリカ)|民主党]]から大統領選挙に出馬した[[ジョン・フォーブズ・ケリー|ジョン・ケリー]]も深く関わっており、後の大統領選で争点となった。この間、フォンダはビラ撒きや薬物所持の容疑で数回逮捕されている(薬物所持の罪状については後に取り下げられた)
 
VVAWの活動には[[2004年]]に[[民主党 (アメリカ)|民主党]]から大統領選挙に出馬した[[ジョン・フォーブズ・ケリー|ジョン・ケリー]]も深く関わっており、後の大統領選で争点となった。この間、フォンダはビラ撒きや薬物所持の容疑で数回逮捕されている(薬物所持の罪状については後に取り下げられた)。1970年5月から[[連邦捜査局|FBI]]当局、[[中央情報局|CIA]]当局からの監視対象となり、最終的に2万ページにも及ぶジェーン・フォンダに関するファイルが作成された。
 
[[1972年]]に[[ベトナム民主共和国]]を訪れた際、飛来したアメリカ軍機を撃墜するために設けられた[[高射砲]]に座り、[[北ベトナム軍]]の[[ヘルメット]]を被ってポーズをとった[http://www.1stcavmedic.com/jane_fonda.htm]<ref>{{Cite news|title=Jane Fonda relives her protest days on the set of her new film|url=http://www.telegraph.co.uk/news/celebritynews/7911158/Jane-Fonda-relives-her-protest-days-on-the-set-of-her-new-film.html|date=July 26, 2010|first=Laura|last=Roberts|work=The Daily Telegraph|location=London|accessdate=July 19, 2011}}</ref>。さらにハノイに抑留されているアメリカ兵士の戦時捕虜を「死刑にすべき」と発言した。

後にこの時の写真と記事は[[世界]]中に配信され、その後フォンダは「祖国への裏切り行為で自分の判断の誤りだった」と釈明したものの、「[[ハノイ]]・ジェーン(''Hanoi Jane'')」と呼ばれ、長年に渡り保守派のベトナム退役軍人とその家族を中心に「売国奴」「裏切り者」として大きな批判を浴び続ける。[[2005年]][[4月]]には、自叙伝のサイン会で退役軍人から唾を吐きつけられた。
 
== 父親との確執 ==