「ジェーン・フォンダ」の版間の差分

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[[1972年]]に[[ベトナム民主共和国]]を訪れた際、飛来したアメリカ軍機を撃墜するために設けられた[[高射砲]]に座り、[[北ベトナム軍]]の[[ヘルメット]]を被ってポーズをとった[http://www.1stcavmedic.com/jane_fonda.htm]<ref>{{Cite news|title=Jane Fonda relives her protest days on the set of her new film|url=http://www.telegraph.co.uk/news/celebritynews/7911158/Jane-Fonda-relives-her-protest-days-on-the-set-of-her-new-film.html|date=July 26, 2010|first=Laura|last=Roberts|work=The Daily Telegraph|location=London|accessdate=July 19, 2011}}</ref>。さらにハノイに抑留されているアメリカ兵士の戦時捕虜を「死刑にすべき」と発言した。
 
後にこの時の写真と記事は[[世界]]中に配信され、その後フォンダは「祖国への裏切り行為で自分の判断の誤りだった」と釈明したものの、「[[ハノイ]]・ジェーン(''Hanoi Jane'')」と呼ばれ、長年に渡りベトナム退役軍人とその家族を中心に「売国奴」、「裏切り者」として大きな批判を浴び続ける。[[1988年]]には[[バーバラ・ウォルターズ]]のインタビュー番組で反省の弁を再び述べたが、退役軍人の怒りは収まらず、[[2005年]][[4月]]には自叙伝のサイン会で退役軍人から唾を吐きつけられた。
 
== 父親との確執 ==