「兄弟姉妹婚」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
4行目:
== 歴史的状況 ==
=== 西ユーラシア・北アフリカ ===
全血の兄弟姉妹婚は[[古代エジプト]]などで見られた。姉弟婚がエジプトの王家でよく見られることについて、元々は母権制の社会において男性が子供達との系譜上の関係性を高めようとしたためであったという見方もあり<ref>[[原田武]] 『インセスト幻想—人類最後のタブー』([[人文書院]]、2001年) 30ページ ISBN 4-409-24065-X</ref>、また、あくまでも継承の正統性を確立するため名目上の婚姻であったとの見解もある。但し、エジプトの[[ファラオ]]である[[ツタンカーメン]]の[[DNA鑑定]]を行ってみたところ、ツタンカーメンは兄弟姉妹の間に生まれた子供と推測されたという研究報告も存在する<ref>{{cite web|url=http://news.bbc.co.uk/local/dorset/hi/people_and_places/history/newsid_8522000/8522002.stm|title=Tutankhamun DNA shows family tree history|language=英語|publisher=[[BBC]]|date=2010年2月18日|accessdate=2011-09-09}}</ref>。王族の話が特に有名ではあるが、[[山内昶]]は2世紀におけるエジプトの記録で婚姻例113例のうち兄弟姉妹婚は23例とされ、兄弟姉妹婚の比率が20%に達していたことを指摘している<ref name="yamauchi56">[[山内昶]] 『タブーの謎を解く―食と性の文化学』([[筑摩書房]]、1996年) 56ページ ISBN 4-480-05691-2</ref>。
 
[[File:Tissot Abram's Counsel to Sarai.jpg|thumb|left|275px|異母兄妹で結婚した異母兄アブラムと異母妹サライ。後にアブラハムとサラと名乗る。(1896年頃-1902年頃の絵画、James Tissotによる)]]