「ベルンハルト (オランダ王配)」の版間の差分

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| 正配称号 = [[オランダ王妃・王配一覧|オランダ王配]]
| 画像 = Bernhard of Lippe-Biesterfeld 1976.jpg
| 画像サイズ = 250px200px
| 画像説明 = 1976年撮影。ベルンハルト
| 在位 = [[1948年]][[9月6日]] - [[1980年]][[4月30日]]
* {{仮リンク|イレーネ・ファン・オラニエ=ナッサウ|label=イレーネ|en|Princess Irene of the Netherlands}}(1939年 - ) [[カルロス・ウゴ・デ・ボルボン=パルマ]]と結婚、1981年離婚
* [[マルフリート・ファン・オラニエ=ナッサウ|マルフリート]](1943年 - ) {{仮リンク|ピーター・ファン・フォレンホーフェン|en|Pieter van Vollenhoven}}と結婚
* {{仮リンク|クリスティーナ・ファン・オラニエ=ナッサウ|label=クリスティーナ|en|Princess Christina of the Netherlands}}(1947年 - 2019年) {{仮リンク|ホルヘ・ペレス・イ・ギリェルモ|nl|Jorge Guillermo}}と結婚、1996年離婚
 
2004年のユリアナ前女王の死後、オランダ王室はベルンハルトが[[1950年代]]と[[1960年代]]にそれぞれ別の女性との間に女子(アリシア、アレクシア)をもうけていたことを公表した。ユリアナもその存在を知っていたという。こうしたベルンハルトの爛れた愛人関係は、その結果生まれた[[非嫡出子]]の養育費の捻出という頭痛となって彼を悩ませた。私生児だけにその養育費が国庫から支給されることは有り得ず、ユリアナ個人の資産に頼ることも道義上できることではなかった。この財政的な弱みがロッキード社やノースロップ社などにつけ込まれる原因となり、賄賂として大金を示唆されたベルンハルトはそれを断ることなどできなかったとする見方もある<ref name="死の商人"/>。