「バハードゥル・シャー2世」の版間の差分

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===平和な治世とイギリスの侵略完了===
[[File:Bahadur Shah II in darbar, 1837, San Diego Museum of Art.jpg |right|250px|thumb|バハードゥル・シャー2世の[[ダルバール]]]]
バハードゥル・シャー2世その治世、父アクバル2世と同様に、宮廷儀礼やデリーを練り歩く大行列をよく行った<ref name="ロビンソン267"/>。彼はまた[[凧揚げ]]と、そして父の時代より宮廷で流行したウルドゥー詩にも熱中し、その学者でもあった<ref name="ロビンソン267"/>。
 
バハードゥル・シャー2世は当時傑出していた詩人として知られる[[ガーリブ]]、[[ダーグ]]、[[ムーミン]]、[[ゾーク]]などを宮廷詩人として雇った。[[1847年]]以降雇ったガーリブはその中でも特に傑出しており、彼はバハードゥル・シャー2世の治世に多くの素晴らしい詩を残した<ref name="ロビンソン267-268">ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、pp.267-268 </ref>。ただ、ガーリブはバハードゥル・シャー2世の詩の文体は簡単にまね真似ることができるものとして、その詩作をあまり評価していなかったといわれる<ref name="ロビンソン267-268"/>
<ref name="ロビンソン267-268"/>。
 
一方、ムガル帝国を保護しつつインドを侵略していたイギリスは、そのインド植民地化が最終局面を迎えようとしていた。[[1845年]]から[[1849年]]かけて行われた2次にわたる[[シク戦争]]で、イギリスは[[シク教徒]]のシク王国に勝利し、パンジャーブなど北西インドを併合して、全インドの植民地化を完成した。