「フレディ・マーキュリー」の版間の差分

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Koitschi (会話 | 投稿記録)
→‎楽器奏者: F. マンデルについての前版の記述は誤訳ではないか。S. エドニーはクイーンのスタジオ盤にも協力しており、M. モランがキーボードを担当したバルセロナでフレディが弾いたのはピアノである。
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[[File:Queen 1984 012.jpg|thumb|right|180px|ドイツ、フランクフルトでのクイーンのライブでギターを弾くフレディ・マーキュリー]]
 
インドで暮らしていたフレディは9歳までピアノを習っていた。後のロンドン在住時には、ギターも学んだ。彼の好きだった音楽の多くはギターが中心だった。彼が当時気に入っていたアーティストは、[[ザ・フー]]、[[ビートルズ]]、[[ジミ・ヘンドリクス]]、[[デヴィッド・ボウイ]]、[[レッド・ツェッペリン]]などであった。1980年代初頭は、クイーンとソロ活動の両方で、キーボード奏者を招いていた。彼は[[ピンク・フロイド]]、[[エルトン・ジョン]]、[[スーパートランプ]]で働いたカナダ人ミュージシャン[[フレッド・マンデル]]はフレディの最初のソロプロジェクトに協力した。また、1985年から[[スパイク・エドニー]]がクイーンに、ソロではスタジオで[[マイク・モラン (音楽プロデューサー)|マイク・モラン]]と、コンサ前述のようにキーボトで[[スパイク・エニー]]と奏者が協力しているが残りキーボードをほとんど際もフレディはピアノ等の鍵盤楽器も担当している。
 
フレディは「キラー・クイーン」、「ボヘミアン・ラプソディ」、「懐かしのラヴァー・ボーイ」、「伝説のチャンピオン」、「愛にすべてを」、「ドント・ストップ・ミー・ナウ」など、クイーンの代表曲のほとんどのピアノを弾いている。彼はコンサート・[[ピアノ|グランドピアノ]]を使用し、時折[[ハープシコード]]のような鍵盤楽器も使っている。1980年代からはスタジオで頻繁にシンセサイザーを使うようになった。クイーンのギタリスト、[[ブライアン・メイ]]は、フレディは彼のピアノの能力に感銘を受けさせるのではなく、舞台の上を歩き回って観客を楽しませたかったため、楽器を演奏していた時間が少なくなっていたと主張している<ref name = "Longfellow_2006">{{harvnb|Longfellow|2006}}</ref>。彼はギター用に多くの曲も書いたが、ギターは基本的な技術しか持っていなかった。「[[オウガ・バトル]]」、「[[愛という名の欲望]]」のような曲はギターで構成されており、後者はステージとスタジオの両方で、フレディが演奏する[[アコースティック・ギター]]が特徴となることもあった<ref>[http://www.queenonline.com/en/the-band/interviews/queen/circus-1980/ Lights! Action! Sound! It's That Crazy Little Thing Called Queen] Circus Magazine. Retrieved 29 June 2011</ref>。