「7.62x51mm NATO弾」の版間の差分

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アメリカ陸軍がT65弾を採用すると発表した時、[[イギリス陸軍]]は激怒した。彼らは独自の[[.303ブリティッシュ弾]]を採用していたが、この弾薬は肩撃ちでフルオート射撃をした際に反動を制御することが難しいという結論にすでに達していたため、スペックの近いT65弾も同様に制御が難しいであろうと主張した。イギリス陸軍ではこれを解決するために、弾径を抑えて薬莢長を短縮した中威力弾である[[.280ブリティッシュ弾|.280口径(約7.1mm)弾]]を開発していた。しかしアメリカ陸軍側は[[第二次世界大戦]]前の「.30口径しか使用しない」という方針を押し通して反論した。米英二つの陸軍がこの戦いを続けている間、[[カナダ軍]]はイギリス案の.280弾に満足していると発表した。しかしながら、アメリカ陸軍は結局T65弾を採用し、.280弾を使わないことをはっきりさせた。T65弾は[[1954年]]にNATO標準弾として選ばれた。
 
試作自動小銃T44はM14として[[1957年]]に制式化された。また、FN FALの供給がイギリス陸軍、[[カナダ陸軍]]に同時採用され、[[西ドイツ]](当時)の[[ドイツ連邦軍]]は[[スペイン]]の[[セトメ・ライフル]](CETME)を改良した[[ヘッケラー&コッホ|H&K]]の[[H&K G3|G3]]を採用した。しかし.308(7.62mm)弾の反動制御が非常に困難である事実から、イギリス陸軍の主張が正しかったと関係者が理解するのに時間はかからなかった。M14の改良版M21、M25はフルオート機能を省いて供給された。また、FALには[[二脚]]およびヘビー・バレル(強化銃身)が付加された。
 
これらの事態が続く間、[[アメリカ軍]]はサルヴォ計画(Project SALVO)という名で、射撃に関する研究を行っていた。4発の弾丸をバトルライフルからバースト射撃した場合、弾丸が20インチ(約50cm)範囲に着弾すれば、負傷者の数を倍にするが、弾薬の口径は結果に変動をもたらさない、という結論に到達した。彼らはまた、.22口径(約5.5mm)の弾頭が2発入った弾丸(二重装填 duplex load )の採用の提案を行い、別の研究者は、[[フレシェット弾]]であれば軽量化でき、.30-06弾より小さい口径でもより強力な貫徹力を示すとした。これらの調査結果は、イギリス陸軍が結果を知り、彼らの主張が正しかったことに対する証拠として使われることを避けるために、秘密とされた。しかし後世になって、アメリカ軍は[[5.56x45mm NATO弾]]を開発・実用化することになる。
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[[ベトナム戦争]]においてフルロードの7.62mm弾は、共産軍が持つAK-47の短小弾に対して不利であることが明らかになった。[[熱帯雨林|ジャングル]]は近接戦闘の連続で、射程の優位は発揮できず、むしろ全自動射撃に向かないことの不利が大きかった。M14を手に戦った米兵たちは戦場で相対した[[AK-47]]の機動性と火力に翻弄されることになる。弾薬が重い分、携帯できる弾薬数でも劣っていた。
 
これが全自動射撃に向く銃弾の導入の契機になった。[[1960年代]]初期にAK-47で武装したNVA([[ベトナム民主共和国|北ベトナム]]人民軍)と実際に交戦した実戦テストが行われ、小口径の.223[[レミントン・アームズ|レミントン]]弾 (5.56mm) を使用するAR-15を装備した8名の部隊が、M14を装備した11名の部隊より火力で勝ることが示された。AR-15は[[M16自動小銃|M16]]として採用され、[[1964年]]から順に、アメリカ陸軍はM14をM16に置き換え始めた。そしてNATO軍は再度米軍の都合に振り回される形で使用弾薬を変更することになる。
 
== その後 ==