「ハリー・B・ハリス・ジュニア」の版間の差分

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アメリカ人(父親)と日本人(母親)の両親を持つハリスは母親から義務と義理を学んだと語り、「6・7歳の子供が理解するにはとても重い概念だった」とした上で、自分は日米同盟の向上に尽力する義務があると述べた。好きな本は『太陽にかける橋―戦時下日本に生きたアメリカ人妻の愛の記録』(日本語版題名)としている<ref>{{Cite web |author= |date=2015-06-12 |url=http://news.tv-asahi.co.jp/news_international/articles/000052511.html |title=初の日系人米太平洋軍司令官 日米同盟強化を訴える |work= |publisher=TV朝日 |accessdate=2017-05-14}}</ref><ref name=harr1>{{Cite web |author= |date=2013-11-18 |url=http://www.sankei.com/world/news/131118/wor1311180008-n1.html |title=日本人の母に教え込まれた「義理」 日系初の米太平洋艦隊司令官 ハリー・ハリス海軍大将 |work= |publisher=産経新聞 |accessdate=2017-05-17}}</ref>。
 
ハリスの母親のオオノ・フミコは神戸の裕福な家庭で育ったが、十代後半で両親と5人姉妹の87人家族うち3人を第二次世界大戦中の空襲で亡くした。生き残った母親らと共に叔母を頼り横浜に避難し、その後1950年に横須賀の海軍基地に通訳兼秘書として職を得た。そして夫のハリー・ハリス・シニアと知り合い結婚した。
 
== 脚注 ==