「章帝 (漢)」の版間の差分

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== 生涯 ==
[[60年]]([[永平 (漢)|永平]]3年)に3歳で皇太子に立てられ、[[75年]](永平18年)に父の明帝が死去すると、19歳で即位した。同時に義理の母である[[明徳馬皇后|馬皇后]]([[光武帝]]の有力部将[[馬援]]の娘)が皇太后に立てられて後見した。馬皇太后は身を慎み、実家の馬氏一族が高位に取り立てられることを拒んだので、章帝の時代には、後漢王朝の宿弊となった[[外戚]]の専権が表に現れることはなかった。生母の賈貴人は、明帝の正妻である馬皇后と従姉妹同士で仲が良かったといわれる。
 
父の明帝が法治政治を行ったのに対し、章帝は幼少の頃から[[儒学]]を好み、儒学の徳目に適った寛容な徳治政治を敷いた。そのため、経済や文化は大きく発展した。