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このような事情から、盧武鉉は鄭夢準との候補一本化を模索した。調整の結果、二人はテレビ討論会を行い世論の支持を集めた側を統一候補として擁立する事にした。テレビ討論会は11月22日に行われ、その後の世論調査で盧武鉉は46.8%、鄭夢準は42.2%の支持率となり、盧武鉉が統一候補に決定した。そして大統領選挙戦は、事実上盧武鉉とハンナラ党の候補李会昌の[[一騎討ち]]となった<ref name="dare" />。
 
同年11月13日に[[全国農民会総連盟]]所属の農民およそ5万5000人がソウル[[汝矣島]]の漢江市民公園で、米の輸入・市場開放反対する全国農民大会を行ったデモで午後4時40分頃には3人の候補の一人だった盧が演説途中で顔面に卵を投げられてぶつけられた<ref>http://s.japanese.joins.com/article/j_article.php?aid=34460</ref>。
 
11月20日、在韓米軍の軍事法廷は6月に女子中学生を交通事故死させたアメリカ兵に無罪の判決を下した。これは米韓行政協定(SOFA)のもとに行われたことだったが、民主活動家たちが運動を活発化させるきっかけを与えた。労働組合や左派団体は[[ソウル特別市|ソウル]]や各地の都市で繰り返しキャンドルデモを促し、メディアもそれを報じて反米機運を増幅した。アメリカは11月27日にハバード駐韓大使とラポート在韓米軍司令官が謝罪し、さらに大統領(当時)の[[ジョージ・W・ブッシュ]]の謝罪声明を発表して事態の沈静化を図ったが、デモの主催者たちはこれを欺瞞とし、デモを続けた<ref>『[http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2002/12/15/20021215000005.html 全国で「中学生追悼」のキャンドルデモ]』、朝鮮日報、2002年12月15日。</ref>。投票日を前に発生したこの事件は、有権者の[[投票行動]]に少なくない影響を与えた(→[[議政府米軍装甲車女子中学生轢死事件]]も参照)。