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[[紀元前522年]]、死去。宰相の地位にあること21年であった。
 
死ぬに当たって後継者に指名<!--「任命」するのは国君の仕事-->した[[游吉]](子大叔(游吉。子游の孫)に「寛容な態度で治めるのは徳を持った人間だけが可能です。次善は厳しい態度で治めるやり方です。あなたは次善の方法で治めるのが良いでしょう。例えば火は恐ろしいですが、その恐ろしさゆえに人が近づいてこないので、却って焼死する人は少ないのです。しかし水は柔らかなので人は慣れ親しんで近寄り、大勢の人が溺死します。これと同じように寛容な態度で治めるのは難しいのです。」と遺言した。
 
その後、子大叔は子産の遺言に逆らって寛容な態度で臨んだが、領内に盗賊が多くなり乱れた。子大叔は反省して厳しい態度で臨み、盗賊を捕らえて皆殺しにした。