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'''ボロクル'''またはボロウル('''Boroqul''', Buroγul〜Boro'ul、?-[[1217年]])は、[[モンゴル帝国]]初期の武将。『[[元朝秘史]]』では'''孛囉忽<sub>勒</sub>'''、孛囉兀<sub>勒</sub>、『[[元史]]』では'''博爾忽'''などと記され、『[[集史]]』では بورقول نويان Būrqūl Nūyān または بورغول نويان Būrghūl Nūyān などと表記される。いわゆる[[四駿四狗|四駿]](Dörben külü'üd)の1人。フシン部族出身。『元朝秘史』巻八に載る[[1206年]]のチンギス・カン第2即位での功臣リストでは第15位にあたる。
 
== 経歴 ==
ボロクルの出身部族であるフシン部族(Hü(Hu'üšin)ušin)は、[[ボルジギン氏]]の[[チンギス・カン]]の大伯父[[オキン・バルカク]]を祖とする[[ジュルキン氏]]と同盟していたか、隷属していた集団だったと考えられている。
 
『[[元朝秘史]]』の記述によると、[[1197年]]頃、テムジン(後のチンギス・カン)が一族の[[ジユルキン氏]]の当主[[サチャベキ]]、[[タイチュ]]の兄弟を滅ぼした時に、降服して来たジャライル部族の首長たちのうち、のちに[[ジョチ・カサル]]の[[アタベク|傅役]]となる[[ジェブケ]]という人物がジュルキン氏の幕営地からでまだ幼児だったボロクルを連れて来たと伝えている。[[ジャライル部]]族の首長たちは自分の子弟などをテムジンに目通りさせてテムジンやその家族のもとで養育や側仕えさせており、このなかには[[ムカリ]]などもいた。ジェブケはジョチ・カサルのもとに配属となり、ジェブケはこのボロクルをテムジンの母である[[ホエルン]]に差し出したため、ボロクルは、[[メルキト]]部族から得られたグチュ、[[タイチウト|タイチウト部]]を攻めた時に得られたベスート(ベスト)氏出身の[[ココチュ]]、同じく[[金 (王朝)|金朝]]、[[ケレイト]]とともに[[ウルジャ河の戦い]]で[[メグジン・セウルト]]率いる[[タタル部]]族を滅ぼした時に得たタタル部族出身の[[シギ・クトク]]ら他の幼児たちとともに、ホエルンのもとで養育されたという。