「葛山信貞」の版間の差分

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== 子に関する伝説 ==
公式には信貞に実子は確認出来ない。しかし、『[[摂戦実録]]』によれば、家臣である御宿友綱の子で大坂夏の陣の最終戦・[[天王寺・岡山の戦い]]にて戦死した[[御宿政友]]は実は、信貞の実子という伝説がある。これが事実であれば、政友は信玄直系の孫である。
 
『武田源氏一流系図』には、政友が大坂に辿り着いた際、葛山信貞の子である葛山貞友を伴っていた(つまり、政友に従って大坂に参陣した)とある。貞友は大坂夏の陣を生き延びて[[黒田忠之]]に仕えたようである。また、貞友は「御宿貞友」と名乗った後に仏門に入り、「葛山信哲斎」として80歳まで生きたとも『武田源氏一流系図』には記されている。
 
== 参考文献 ==