「千代川」の版間の差分

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* [[因幡国]]の多くの谷の流れがみなこの川に集まり、大河となることから、古くは「千谷川」と書かれていたのを「せんだい」というようになり、これに「千代」の[[当て字|あて字]]をされたとされる。
* 昔、[[弘法大師]]は[[八上郡 (鳥取県)|八上郡]]の[[兵円山]]を[[高野山]]のような[[霊場]]にしようと考え、山にある千の谷に[[仏像]]を一体ずつ安置しようと仏像を作り始めた。しかし、この山に住む[[天邪鬼|アマンジャク]]はこのことを知って、自分の住処を霊場にされたくないから、1つの谷を隠そうとして、土を[[もっこ]]で担いで[[海]]に捨てに行った。再び兵円山に戻ってきた弘法大師は谷の数を改めたところ、谷は九百九十九しかなかったため、霊場づくりを断念し、千体の[[仏像]]をこの川に流した。それ以来、この川は「千体川」と呼ぶようになり、のちに「千代川」となったと言われる。
 
== 歴史 ==