「トヨタ・クラウン」の版間の差分

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| 車種=普通自動車
| 車名=トヨペット・クラウン(初代)
| 車名補= RS型/RS2#/CS2#/RS3#型
| 1枚目画像の説明=1955年1月発売型<br/>(RS型、[[福山自動車時計博物館]]所蔵)
| 1枚目画像名=Toyota-crown-1st-generation01.jpg
| 2枚目画像の説明=1958年10月発売型<br/>(RS20型、[[トヨタ博物館]]所蔵)
| 2枚目画像名=1958 Toyopet Crown 01.jpg
| 3枚目画像の説明=1960年10月発売型<br/>「1900デラックス」(RS31D型)
| 3枚目画像名=Toyopet Crown 1900 Deluxe (RS31) front.JPG
| 販売期間=1955年 - 1962年
| 設計統括=[[中村健也]]
| ボディタイプ=4ドア[[セダン]]<br />4ドア[[ステーションワゴン]]
| エンジン=R型 直列4気筒 1,453 cc<br />3R型 直列4気筒 1,897 cc<br/>C型 直列4気筒 1,491cc
| トランスミッション=3速MT / 2速AT
| サスペンション=前:[[ダブルウイッシュボーン]]<br />+コイルスプリング<br />後:リジッドアクスル<br />+リーフスプリング
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| 自由項目1(内容)=4輪ドラム
| 自由項目2(項目名)=データモデル
| 自由項目2(内容)=RS(初期型)および1500デラックス(RS21(RS21D型)
| 先代=[[トヨペット・スーパー]]
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* [[1955年]](昭和30年)1月1日 - 発売。
* [[1957年]](昭和32年) - ラウンド・オーストラリア・トライアル([[:en:Round Australia Trial|英語版]]。出場した[[ラリー]]の名称は[[モービル石油|モービル・ガス]]・トライアル。)に出場して完走。総合47位、外国賞3位の成績を残した。これがトヨタにおける[[モータースポーツ]]の歴史の始まりである。
* [[1958年]](昭和33年)10月 - [[モデルチェンジ|マイナーチェンジ]]。型式がRS型からRS20型に変更され、エクステリアの意匠変更に伴うクラウン初の大規模なフェイスリフトが実施されたほか、[[オーバードライブ]]機構が採用された。[[1959年]]10月には、[[トヨタ・C型エンジン (2代目)|C型]][[ディーゼルエンジン]]搭載車(CS20型)が追加されたが、これは日本製市販乗用車で初の[[ディーゼル自動車|ディーゼル車]]となった。ただし生産は少数に留まり、約1年程度の生産・販売となった。
* [[1960年]](昭和35年)10月 - マイナーチェンジ。[[小型自動車|小型車規格]]の変更・拡大(全長×全幅×全高・4,300mm×1,600mm×2,000mm以下→4,700mm×1,700mm×2,000mm以下、ガソリンエンジンの総排気量・1,500cc以下→2,000cc以下)に伴い、再び型式が変更(RS20型→RS21型)。、また、デラックスに3R型1.9Lエンジンを搭載した1900ル(RS22ラックス(RS31D型)が登場。また、同時に「トヨグライド」と名付けられた2速[[オートマチックトランスミッション]]を搭載したAT車を追加。
* [[1961年]](昭和36年)4月 - スタンダードに1.9Lモデル(1900スタンダード、RS31型)を追加。
; 輸出仕様
* 1957年(昭和32年)10月 - 当時のトヨタ自動車工業と[[トヨタ自動車販売]]の共同出資により設立された現地法人、米国トヨタ自動車(現在の[[:en:Toyota Motor Sales, U.S.A., Inc.|Toyota Motor Sales, U.S.A., Inc.]], TMS)から発売。トヨタの対米[[輸出]]車第1号であり、[[対面交通|左運転席]]仕様である。搭載エンジンは当初の1.5 Lでは出力不足が著しく、普及しつつあった州間[[ハイウェイ]]の[[ランプ (道路)|ランプ]]の上り坂をまともに登れないほどだった。後にエンジンは1.9 Lに変更されたが、連続高速運転での[[オーバーヒート]]は収まらず、シャシの操縦安定性も危険なレベルと評された。ユーザーから「[[冬]]の朝は、[[鉛蓄電池|バッテリー]]が上がって始動できない」と苦情が殺到するなど[[電装]]系の信頼性も低かった。結局、当時の日本車は米国車と技術的な格差が大きすぎ、トヨタは1960年(昭和35年)に対米輸出をいったん停止している<ref group="注釈">ごく初期に輸出されたクラウン。記事:[http://www.toyota.co.jp/Museum/data/a03_09_2.html#1 トヨタ博物館 大衆化のための技術開発ページ]</ref>。販社と[[自動車ディーラー|ディーラー]]を立ち上げたものの、肝心の商品がなくなってしまい、改良後のクラウンと[[トヨタ・コロナ#2代目 T2#型(1960年 - 1964年)|ティアラ]]で輸出を再開するまでの間、[[トヨタ・ランドクルーザー#20系(1955年-1960年)|ランドクルーザー]]のみで繋ぐことを余儀なくされた。