「説文解字」の版間の差分

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[[Image:Shuowen.jpg|thumb|説文解字大徐本(汲古閣本)]]
'''説文解字'''(せつもんかいじ、{{ピンイン|Shuōwén Jiězì}})は、最古の[[部首]]別[[漢字]][[字典]]。略して'''説文'''(せつもん、{{ピンイン|Shuōwén}})ともいう。[[後漢]]の[[許慎]](きょしん)の作で、[[和帝 (漢)|和帝]]の[[永元 (漢)|永元]]12年(西暦[[100年]])に成立し、[[建光 (漢)|建光]]元年(121([[121]])に許慎の子の許沖が[[安帝 (漢)|安帝]]に奉った。本文14篇・叙(序)1篇の15篇からなり、叙によれば[[小篆]]の見出し字9353字、重文([[古文]]・[[籀文]]および他の[[異体字]])1163字を収録する(現行本ではこれより少し字数が多い)。漢字を540の[[部首]]に分けて体系付け、その成り立ちを解説し、字の本義を記す。
 
現在から見ると俗説や[[五行思想|五行]]説等に基づく牽強付会で解説している部分もあるが、新たな研究成果でその誤謬は修正されつつも、現在でもその価値は減じていない。
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=== 大徐本 ===
 
[[Image:Setumon kaiji2.jpg|thumb|right|100px|説文解字 大徐本]]
 
大徐本は徐鍇の没後宋に仕えた兄[[徐鉉]]によって[[雍熙]]3年(986年)に作られた。大徐本は小徐本を元にしているが、『繋伝』と異なり説文本文の校訂に専念し、また各部首の末尾に従来の説文にはなかった漢字を「新附字」として加えている。今日「説文」というときはこの大徐本を指すことが多い。版本には清代始めのころに刊行された『汲古閣版』(毛扆による第五修訂版が1713年)、それに基づいた『[[朱キン|朱筠]]本』(1773年)、『藤花榭本』(額勒布・1807年)、『平津館本』([[孫星衍]]・1809年)等がある。
 
=== 説文解字注 (段注本) ===
 
[[清]]の[[段玉裁]]が著した『説文解字注』30巻(段注、[[嘉慶 (清)|嘉慶]]20年(1815年)刊)は、説文解字に対する注釈の最高峰と言われ、清の[[訓詁学]]の到達した一つの頂点として知られている。しかしながら、多数の文献を出典を明記せずに引用し、また誤りもあるので、例えば誤りを校正した[[馮桂芬]]の『説文解字段注攷正』など、読解にあたっては副読本を手元に置いた方が良い。『[[大漢和辞典]]』の引く説文は段玉裁による変更が加わっている場合があるので注意が必要である。
 
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=== その他 ===
 
他に[[桂馥]]の『説文解字義証』、[[朱駿声]]の『説文解字通訓定声』といった優れた注釈がある。多くの注釈を網羅しているものに[[丁福保]]の『説文詁林』がある。
 
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