「青梅街道」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
タグ: モバイル編集 モバイルアプリ編集 Androidアプリ編集
21行目:
[[西武拝島線|拝島線]][[東大和市駅]]東隣の青梅橋交差点で右折する。かつては右折直後に、[[玉川上水]]から分流した[[野火止用水]]を越える青梅橋があったが、用水は[[暗渠]]化され、橋のあった面影は見られない。用水の流路に直角に掛かっていた橋の方向に沿って北北西へ進行しすぐに西武拝島線のガードをくぐる。直後の南街四丁目交差点では、真北へ向かう通称ハミングロードが新たに設置されたために、直進であった本道の方が左折分岐する形となり、更に北北西に進む。奈良橋庚申塚交差点で新青梅街道を横切り、これ以降、青梅街道が新青梅街道より北側となる。奈良橋交差点で左折し、道幅が狭く緩やかにカーブが連続する区間となる。[[武蔵村山市]]内でさらに大きく左にカーブして南南西へ進み、その直後の大曲り交差点で右折して再び西北西へ進路を取る。
 
[[西多摩郡]][[瑞穂町]]に入り、[[箱根ケ崎駅]]の北側でJR[[八高線]]を踏切で越える。その先の瑞穂松原交差点で本道に対して左側から新青梅街道が合流する(=新青梅街道終点)。しかし実際の道路構造線形は、片側2車線の新青梅街道が[[西東京市]]方面からそのまま青梅市方面に進み、片側1車線の本道がそこに合流する形である。青梅市街地を通過した後は[[多摩川]]沿いに屈曲が連続する区間となり、[[奥多摩湖]]の先で山梨県に入る。
 
現在の青梅街道とよばれるルートは、[[新宿]]と青梅市を結ぶ経路を一般に指しているが、江戸時代では、[[甲州街道]]の第1宿場である[[内藤新宿]]で甲州街道から分岐し、青梅を経由して[[甲斐国|甲州]]の[[酒折]](現・[[甲府市]])で甲州街道と再合流した{{sfn|ロム・インターナショナル(編)|2005|pp=121–122}}。歴史的な青梅街道の起点である内藤新宿は現在の新宿三丁目交差点付近であり、この地点は甲州街道との分岐点であったことから「新宿追分(しんじゅくおいわけ)」と呼ばれていた。また、現在の起点より100 mほど南、[[思い出横丁]]の入り口付近には、本来の青梅街道が現在の[[角筈ガード]]付近を通っていた事を示す碑が設置されている。