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→‎専門学校昇格と晩年(1926-1941): 女高師体育科設立時の様子。
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こうした中でトクヨは学校経営の実務を名誉校長の二宮文右衛門に任せ{{sfn|西村|1983|p=248}}、校内に引きこもり、病気がちとなった{{sfn|二階堂・戸倉・二階堂|1961|pp=208-209}}。弟の真寿に「自分なんぞは今に誰からも相手にされなくなって、電信柱の蔭にひとりでうずくまっているかもしれない」という苦しい胸の内を明かした{{sfn|二階堂・戸倉・二階堂|1961|p=209}}。[[1933年]](昭和8年)にトクヨとの面会を許された記者によると、当時のトクヨは[[火鉢]]で[[餅]]を焼きながら来客を応対し、3坪ほどの部屋を書斎兼校長室としていた<ref name="yh1933">"スポーツ界 人物風景 C スポーツ兩性觀 「陸のヲバちゃん」二階堂女史 熱・熱・『…よ』と力んで」読売新聞1933年2月24日付朝刊、5ページ</ref>。室内は洋風で奥には「正義無敵」の額があり、トクヨは[[ロイド眼鏡]]をかけ、和装していた<ref name="yh1933"/>。[[語尾]]の「〜よ」を強調する話し方をし、楽しみは[[入浴]]・[[睡眠]]・月1回の[[歌舞伎]]鑑賞であった<ref name="yh1933"/>。
 
[[1937年]](昭和12年)、[[佐々木等]]や戸倉ハルらの尽力で東京女高師に体育科が設立された{{sfn|松本|1999|p=85}}。トクヨはこれを喜び、両手いっぱいに花束を抱えて[[下村寿一]]校長を訪問し、「限りなき喜びです」と挨拶した{{sfn|二階堂・戸倉・二階堂|1961|p=127}}。その後は桜蔭会(東京女高師同窓会)員とお茶をしながらの座談会を行い、「これから(体専と東京女高師で)競争しましょう」と発言し、大笑いした{{sfn|二階堂・戸倉・二階堂|1961|p=127}}。久々の母校訪問とあって夕方まで校内に滞在し、校内を一巡して満足げに帰宅した{{sfn|二階堂・戸倉・二階堂|1961|p=127}}。
 
[[1941年]](昭和16年)[[4月7日]]、体専の[[入学式]]の朝に倒れ、東京海軍共済組合病院(現・[[東京共済病院]])に入院、後に本人の希望で[[慶應義塾大学病院]]に転院{{#tag:ref|トクヨが慶應病院を希望したのは、10年来の知己で体専の校長副代理を務めた加藤信一([[慶応義塾大学]]教授で[[博士(医学)|医学博士]])がいたからである{{sfn|穴水|2001|p=149, 158}}。|group="注"}}した{{sfn|西村|1983|p=252}}。病名は[[胃癌|胃ガン]]で、ほかに[[糖尿病]]や[[白内障]]などの持病があった{{sfn|西村|1983|p=252}}。4月14日{{#tag:ref|[[4月24日]]説もある{{sfn|穴水|2001|p=149}}。|group="注"}}にはトクヨの妹・とみの娘である美喜子を[[養子縁組|養女]]にとった{{sfn|西村|1983|p=10}}。入院中、体専の生徒や卒業生は看病や見舞い、[[輸血]]を申し出たが、一切断っている{{sfn|西村|1983|p=253}}{{#tag:ref|週1回、[[放射線治療]]のために病室から移動する際に運搬車を押すことは例外的に認められた{{sfn|西村|1983|pp=252-253}}。[[看護師]]の制止を振り切って卒業生が病室に入って来た際には「二階堂を見舞う暇があったら自分の職務を立派に果たして来なさい!」と叫んだが、布団をかぶってすすり泣いたという{{sfn|西村|1983|p=253}}。また別の人には、「今大往生を楽しんでいるところだ、最後の聖地をけがされたことは残念だ、出て行ってくれ」と激怒した{{sfn|二階堂・戸倉・二階堂|1961|p=214}}。弟の清寿が見舞いに来た時でさえ、開口一番「なんでこんなところに来た、帰れ」と激昂した{{sfn|穴水|2001|pp=150-151}}。|group="注"}}。同年7月17日午前1時40分に死去、60歳であった{{sfn|西村|1983|p=254, 262}}。当日は稀に見るような暑さであったという{{sfn|二階堂・戸倉・二階堂|1961|p=67}}。生涯[[独身]]であった{{sfn|西村|1983|p=247}}。
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* {{cite book|和書|author=西村絢子|chapter=二階堂体操塾(日本女子体育大学)の創設者 ●二階堂トクヨ●|title=近代日本女性体育史―女性体育のパイオニアたち―|publisher=日本体育社|date=1981-05-20|page=151-176|ref={{sfnref|西村|1981}}}}{{全国書誌番号|82017419}}
* {{cite book|和書|author=西村絢子|title=体育に生涯をかけた女性―二階堂トクヨ―|publisher=杏林書院|date=1983-08-01|page=266|ref={{sfnref|西村|1983}}}}{{全国書誌番号|83050977}}
* {{cite journal|和書|author=松本千代栄|title=三浦ヒロ・戸倉ハルとその時代|journal=舞踊學|publisher=[[舞踊学会]]|volume=1999|issue=22|page=82-87|date=1999|naid=130003855717|ref={{sfnref|松本|1999}}}}
* {{cite journal|和書|author=頼住一昭|date=2007-05|title=体育人と身体感 21 永井 道明(1868〜1950)|journal=体育の科学|publisher=杏林書院|volume=57|issue=5|page=377-381|naid=40015447887|ref={{sfnref|頼住|2007}}}}
* {{Cite book|和書|editor=[[川畑愛義]]・浅井浅一|title=女子の保健体育|publisher=体育の科学社|date=1958-04-15|series=第2版|page=251|ref={{sfnref|川畑・浅井 編|1958}}}}{{全国書誌番号|57004353}}