「舩坂弘」の版間の差分

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舩坂は米軍指揮官らが指揮所テントに集合する時に突入すると決めていた。当時、米軍指揮所周辺には歩兵6個大隊、戦車1個大隊、砲兵6個中隊や高射機関砲大隊など総勢1万人が駐屯しており、舩坂はこれら指揮官が指揮所テントに集まる時を狙い、待ち構えていたのである。舩坂はジープが続々と司令部に乗り付けるのを見、右手に手榴弾の安全栓を抜いて握り締め、左手に拳銃を持ち、全力を絞り出し、立ち上がった。突然、茂みから姿を現した異様な風体の日本兵に、発見した米兵もしばし呆然として声も出なかったという。
 
米軍の動揺を尻目に船坂は司令部目掛け突進するも、手榴弾の信管を叩こうとした瞬間、左頸部<ref>自著『英霊の絶叫 玉砕島アンガウル』文藝春秋 [[1966年]]12月初版第1刷 [1967年]]3月第5刷 156頁。</ref>を撃たれて昏倒し、戦死と判断される。駆けつけた米軍軍医は、無駄だと思いつつも舩坂を野戦病院に運んだ。このとき、軍医は手榴弾と拳銃を握り締めたままの指を一本一本解きほぐしながら、米兵の観衆に向かって、「これがハラキリだ。日本のサムライだけができる勇敢な死に方だ」と語っている<ref>自著『殉国の炎』潮出版社 [[1971年]]3月初版 寄稿20項 ロバート・E・テイラー 和訳を参照。</ref>。当初船坂は情をかけられたと勘違いし、周囲の医療器具を壊し、急いで駆けつけた[[憲兵|MP]]の銃口に自分の身体を押し付け「撃て!殺せ!早く殺すんだ!」と暴れ回った。この奇妙な日本兵の話はアンガウルの米兵の間で話題となった。舩坂の無謀な計画に対し、大半はその勇気を称え、「勇敢なる兵士」の名を贈ったという。
 
=== 捕虜収容所 ペリリュー島~米国本土 ===
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