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長い開発期間を経て、Macintoshは[[1984年]]1月24日に発売された{{sfn|O'Grady|2009|pages=10–12}}。2日前の1月22日には、[[第18回スーパーボウル]]の放送で[[リドリー・スコット]]による有名なテレビCM『'''[[1984 (広告)|1984]]'''』がオンエアされており、Macintoshには大きな注目が集まった{{sfn|シュレンダー|2016|pages=130–132}}<ref>{{cite news |first=Kevin |last=Maney |title=Apple's '1984' Super Bowl commercial still stands as watershed event |url= https://usatoday30.usatoday.com/tech/columnist/kevinmaney/2004-01-28-maney_x.htm |work=[[USA Today]] |date=January 28, 2004 |accessdate= July 18, 2019}}</ref>。アップルによって ''The computer for the rest of us''として打ち出されたMacintoshは<ref>{{Citation|title=Apple Macintosh Is The Computer For The Rest Of Us Commercial|url=http://archive.org/details/Apple_Macintosh_Is_The_Computer_For_The_Rest_Of_Us_Commercial|date=1984|accessdate=2019-02-24}}</ref>、一般向けPCとしては初めてマウス操作によるGUIを搭載しており、当初はメディアからの称賛を浴び、1984年4月末の時点で5万台を売り上げるなど販売も非常に好調だった{{sfn|Swaine|2014|pages=442-443}}<ref>{{cite news | url=https://www.nytimes.com/1984/04/24/business/apple-is-banking-on-new-portable-the-iic-computer.html | title=Apple is Banking on New Portable: The IIc Computer | work=The New York Times | date=1984-04-24 | accessdate=18 July 2019 | author=Hayes, Thomas C.}}</ref>。しかし、2,495ドルという価格が一般向けPCとしては高額であったことと、対応ソフトの不足がわざわいし{{#tag:ref|Apple IIとの互換性はまったくなく、当然対応するサード・パーティのソフトもほとんどなかった。|group="注"}}、発売から数カ月が過ぎるとMacintoshの販売は停滞し始め、開発担当者であるジョブズとスカリーらアップル経営陣との関係も悪化した{{sfn|シュレンダー|2016|pages=134–144}}{{sfn|Swaine|2014|pages=442-443}}<ref>{{Cite book |ref={{harvid|Hertzfeld|2005}}|first=Andy |last=Hertzfeld |year=2005 |title=Revolution in The Valley: The Insanely Great Story of How the Mac Was Made |publisher=O'Reilly Media |isbn=9780596007195}} p. 195</ref>。
 
スカリーはジョブズをMacintosh部門から降ろすことを決定し、1985年4月には取締役会から全会一致の承認を得た{{sfn|シュレンダー|2016|pages=140–152}}。この決定に反発したジョブズは、スカリーが中国に出張する隙に彼を解任することを画策したが、スカリーはフランス法人のトップである[[ジャン=ルイ・ガセー]]から事前にジョブズの計画について知らされたスカリーは、出張をキャンセルし重役会議でジョブズと直接対峙した{{sfn|シュレンダー|2016|pages=140–152}}{{sfn|LInzmayer|2004|page=143}}。会議では、その場に居たアップルの重役全員がスカリーへの支持を表明し、その後取締役会もスカリーへの支持を表明したため、ジョブズは1985年5月31日に全ての業務から外され、何の実権も持たない会長職を与えられた{{sfn|O'Grady|2009|pages=10–11}}{{sfn|シュレンダー|2016|pages=140–152}}。
 
=== ジョブズとウォズニアックの離脱 ===
1985年9月、ジョブズは当時所有していたAppleの株を1株だけ残して約650万株をすべて売却し、[[NeXT]]社を創立した。それと同時にスカリー宛てに郵送で辞職願を提出し、会長職も辞任した。[[2010年]]の記事で、スカリーは一番後悔していることとして、ジョブズを辞任に追い込んだことを挙げている<ref>{{Cite news|title=John Sculley on Why He Fired Steve Jobs|date=2010-06-06|last=Weber|first=Thomas E.|url=https://www.thedailybeast.com/articles/2010/06/06/why-i-fired-steve-jobs|accessdate=2018-09-04|language=en|work=The Daily Beast}}</ref>。ウォズニアックもまた、別の事業を始めるため1985年前半にアップルを(ジョブズよりも先に)離れていた。その際、ウォズニアックはアップルがApple II部門を冷遇してきたことへの不満を表明し、会社が「過去5年間ずっと間違った方向に進んでいる」と述べた<ref name="rice19850415">{{cite news |url= https://books.google.com/books?id=zC4EAAAAMBAJ&lpg=PA13&pg=PA35 |title= Unrecognized Apple II Employees Exit |work=[[InfoWorld]] |date= April 15, 1985 |accessdate= November 6, 2017 |last= Rice |first= Valerie |page= 35 }}</ref><ref name="wozemployee">{{Cite news |url= http://woz.org/letters/never-left-apple/ |title= I Never Left Apple |date= January 3, 2018 |work= Officially Woz |access-date= October 2, 2018 |language= en-US }}</ref><ref>{{cite news |url= http://www.cnn.com/video/?/video/bestoftv/2011/08/25/exp.piers.wozniak.jobs.reaction.cnn |work=[[CNN]] |title= CNN.com Video }}</ref>。
 
ジョブズとウォズニアックが去った1985年、アップルはMacintosh向けに[[キヤノン]]と共同開発した[[レーザープリンター]]であり、[[アドビシステムズ]]が開発した[[PostScript]]を搭載した[[LaserWriter]]を登場させ、コンピュータ上で描いた文字や絵を出力する際にドットの粗い[[ディザ]]を表示させることなく、きれいな[[アウトライン]]で出力することを可能にした。また、[[アルダス]]社(現・アドビシステムズ)の開発した[[PageMaker]]とMacintosh、レーザーライターを組み合わせることで、[[DTP]]という市場を創造した<ref name=":0">{{Cite web|title=印刷と出版を変革したPostScript(前編) {{!}} 大塚商会|url=https://www.otsuka-shokai.co.jp/media/it-history/chapter001/postscript-1.html|website=www.otsuka-shokai.co.jp|accessdate=2019-02-24|language=ja}}</ref>。精巧な[[タイポグラフィ]]機能を備えていたMacintoshは、DTP用コンピュータとして圧倒的な人気を博し、アップルは初期のDTP市場を事実上独占することに成功した{{sfn|Swaine|2014|pages=359–363}}{{#tag:ref|現在でもDTP用途ではMacintoshが多用されているのは、この2つの製品による革命とPostScriptの採用<ref name=":0" />、高価ではあったが[[グラフィック]]処理にも耐えうる[[モトローラ]]製[[CPU]]の採用に起因していると言える。|group="注"}}。ジョブズに代わってMacintosh部門のトップに立ったガセーは、55パーセントの利益率という目標を意味する「55か死か (fifty-five or die)」というスローガンを掲げてMacintosh製品の値上げを実行し、1980年代後半のアップルで高価格・高利益率路線を推し進めた{{sfn|Dormehl|2012|page=295}}{{sfn|Carlton|1997|pages=79–80}}。高価格で販売された「[[Macintosh II]]」などの新型モデルは高い利益率を提供し、DTP市場での人気を背景に当初は売上高にも減少は見られなかった{{sfn|Swaine|2014|pages=359–363}}。さらに、アップルは外部のソフト会社にマック用のソフト開発を説得する職種である[[エバンジェリスト]](宣伝部)を作り、[[ガイ・カワサキ]]らを任命した。
 
=== ジョブズの離脱 ===
ジョブズは当時所有していたAppleの株を1株だけ残して約650万株をすべて売却し、[[NeXT]]社を創立した。それと同時にスカリー宛てに郵送で辞職願を提出し、会長職も辞任した。[[2010年]]の記事で、スカリーは一番後悔していることとして、ジョブズを辞任に追い込んだことを挙げている<ref>{{Cite news|title=John Sculley on Why He Fired Steve Jobs|date=2010-06-06|last=Weber|first=Thomas E.|url=https://www.thedailybeast.com/articles/2010/06/06/why-i-fired-steve-jobs|accessdate=2018-09-04|language=en|work=The Daily Beast}}</ref>。他方、アップルは外部のソフト会社にマック用のソフト開発を説得する職種である[[エバンジェリスト]](宣伝部)を作り、[[ガイ・カワサキ]]らを任命した。社内では波乱が起きてはいたが、さらにアップルは、Macintosh向けに[[キヤノン]]と共同開発した[[レーザープリンター]]であり、[[アドビシステムズ]]が開発した[[PostScript]]を搭載した[[LaserWriter]]を登場させ、コンピュータ上で描いた文字や絵を出力する際にドットの粗い[[ディザ]]を表示させることなく、きれいな[[アウトライン]]で出力することを可能にした。また、[[アルダス]]社(現・アドビシステムズ)の開発した[[PageMaker]]とMacintosh、レーザーライターを組み合わせることで、[[DTP]]という市場を創造した<ref name=":0">{{Cite web|title=印刷と出版を変革したPostScript(前編) {{!}} 大塚商会|url=https://www.otsuka-shokai.co.jp/media/it-history/chapter001/postscript-1.html|website=www.otsuka-shokai.co.jp|accessdate=2019-02-24|language=ja}}</ref>。現在でもDTP用途ではMacintoshが多用されているのは、この2つの製品による革命とPostScriptの採用<ref name=":0" />、高価ではあったが[[グラフィック]]処理にも耐えうる[[モトローラ]]製[[CPU]]の採用に起因していると言える。
=== Newton ===
[[ファイル:Apple Newton and iPhone.jpg|thumb|200px|[[アップル・ニュートン|Newton]](左)とiPhone(右)]]
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1996年の11月ごろ、アップルが次期OSを外部に求めているという話を知ったNeXTのエンジニアは、スティーブ・ジョブズに打診。公表されてはいなかったが、NeXTはハードウェアから撤退し創業以来初の黒字となっていたものの経営状態は良好とはいえず、ジョブズはこの話を受けてアップルとアメリオに対して[[OPENSTEP]]と[[NEXTSTEP]]を売り込んだ。ジョブズは12月上旬に、1985年以来初めてアップル社内に入り、アメリオら首脳陣と話し合った。12月10日にはBeOSとOPENSTEPの比較プレゼンテーションがあったが、勝利を確信していたガセーがほとんど事前準備をしていなかったのに対し、周到に準備をしたジョブズがカリスマ的なプレゼンテーションを展開し、ガセーは敗れ去った。12月20日にアップルがNeXTを4億ドルで買収することを発表し、次期OSの基盤技術としてOPENSTEPを採用すると発表した<ref>{{Cite web|date=1996-12-21|url=http://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/961221/apple.htm|title=米Apple、4億ドルで米NeXT Softwareを買収、ジョブズ氏も古巣に復帰|publisher=PC Watch|accessdate=2012-05-09}}</ref>。
 
=== ジョブズ復帰 ===
[[ファイル:Twentieth Anniversary Macintosh.jpg|thumb|200px|20周年記念Macintosh ([[Twentieth Anniversary Macintosh]])]]
1997年2月に正式にNeXT買収が成立し、アメリオの要請もありジョブズはAppleに非常勤顧問という形で復帰した(同時に、NeXTのセールス担当副社長[[ミッチ・マンディッチ]]、技術担当副社長[[アビー・テバニアン]]が重役としてAppleに加わる<ref>[http://investor.apple.com/secfiling.cfm?filingid=320193-96-27&cik=320193 Acquisition Brings New Talent to Apple]</ref>)。このとき、アメリオからプレゼントされた[[Twentieth Anniversary Macintosh|20周年記念Macintosh]](Spartacus)を窓から投げ捨てたという噂がまことしやかに囁かれた(ちなみにウォズにもこの記念すべきMacintoshがプレゼントされた)。