「ブルッキングス研究所」の版間の差分

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[[1916年]]に[[ロバート・S・ブルッキングス]]によって「政府活動研究所」として創立。その後経済研究所や[[公共政策大学院]]を統合して[[1927年]]に現在の体制となる。
 
[[フランクリン・ルーズベルト]]が[[ニューディール政策]]を実行する際にはその叔父にあたるフレデリック・デラーノが理事会長だった関係でその政策形成に深く関わり、[[世界恐慌|世界大恐慌]]の分析から[[大企業]]の[[寡占]]や資本集中・投機から生産能力が有効に使われず[[格差]]拡大をもたらしたと指摘した全四部から成る調査報告書(Capacity Studies)をまとめ上げた。一方でニューディールの「[[社会主義]]的」傾向には否定的で、[[全国復興庁]]の活動が市場原理に介入し過ぎると批判している。戦後は、[[国際連合]]の原型となった国際組織構築のための戦後対外政策諮問委員会への参画や、議会予算局の設置に関わっている。
 
中道・リベラル系のシンクタンクとして長い伝統と実績を残していて、特に[[民主党 (アメリカ)|民主党]]政権には政策的な影響を及ぼすと共に、人材を輩出してきた。一方で保守系とは対立することが多く、[[リチャード・ニクソン]]は[[ニクソンの政敵リスト|政敵リスト]](より正確には[[ニクソンの政敵マスター・リスト|政敵マスター・リスト]])の中にブルッキングス研究所の名前を挙げていた。一方で[[アメリカ同時多発テロ事件|アメリカ同時多発テロ]]後には、ジョージ・スタインバーグとマイケル・オハンロンが中心となって国内での対[[テロリズム|テロ]]対策を強調した対テロ戦略構想をまとめている。