「ヘラクレイオス」の版間の差分

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== 業績 ==
=== 「東ローマ」から「ビザンティン」への橋渡し ===
=== 公用語の変更 ===
ヘラクレイオスの最も重要な遺産の一つは、[[620年]]に帝国の公用語を[[ラテン語]]から[[ギリシア語]]へ変えたことである<ref name="Davis p. 260">[[#refDavis1990|Davis 1990]], p. 260.</ref>。もっとも、[[古代ローマ]]との連続性を誇りに思う住民感情も根強かったらしく、10世紀の東ローマ皇帝[[コンスタンティノス7世]]は、その著書『[[テマ制|テマ]]の起源について』の中で、ヘラクレイオスが帝国の公用語をラテン語からギリシア語に改めたことを「父祖の言葉を棄てた」と表現している<ref>「[[ギリシャ人#東ローマ帝国時代]]」参照</ref>。皇帝をはじめとする東ローマ帝国の人物名について、日本人の研究者の間では、公用語がラテン語であった[[フォカス]]までをラテン語で、ギリシア語に改めたヘラクレイオス以降はギリシア語で表記するのが一般的である<ref>「[[東ローマ帝国の皇帝一覧]]」参照</ref>。
 
また、[[629年]]に[[サーサーン朝]]に勝利して首都[[コンスタンティノポリス]]ヘ凱旋したヘラクレイオスは、従来の皇帝の称号「[[インペラトル]](ラテン語:Imperator)/アウトクラトール(ギリシア語:[[:en:Autokrator|{{lang|el|αὐτοκράτωρ}}/Autokrator]])」ではなく、「キリスト信者の[[バシレウス]]」と名乗った<ref>「[[ローマ王]]」、「[[皇帝#東ローマ帝国]]」も参照</ref>。それまで「バシレウス<sup>(ギリシア語)</sup>」は[[サーサーン朝]]など周辺諸国の「王」を示す言葉であったが、以後これが東ローマ帝国における皇帝の称号として定着することになった。
 
古代ローマ帝国の継承国家である「東ローマ帝国」から、ギリシア人中心の中世国家「ビザンティン帝国」への推移を象徴する二大事である。
 
 
== 家族 ==
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