「アルフォンソ2世 (アストゥリアス王)」の版間の差分
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伝説では、アルフォンソ王時代の814年に使徒サンティアゴの墓がコンポステーラで発見されたとされている。この地がキリスト教における重要な[[巡礼地]]の1つとなったのは事実である。
死後、アルフォンソ2世はオビエド大聖堂王室霊廟に埋葬された。実子はいなかったとされ、身内とされる[[ネポシアーノ]]が王位を簒奪したが、アルフォンソ2世の祖父[[アルフォンソ1世]]の弟フルエーラ([[カンタブリア]]公)の孫([[ベルムード1世]]の息子)[[ラミロ1世]]がネポシアーノを撃破して内乱に勝利、王位に就いた。
==子女==
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