「難波長柄豊碕宮」の版間の差分

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{{Double image stack|right|Preceding naniwanomiya.jpg|Preceding naniwanomiya2.jpg|200|難波長柄豊﨑宮を正面から見る。手前、宮城南門を抜けて[[朝集殿]]を左右に見ながら北に進むと朝堂院南門に至る。さらに朝堂院南門をくぐると左に西朝堂、右に東朝堂を見える。[[朝堂院]]を北に進んでいくと内裏南門に到着する<ref name="lee">李陽浩 「[https://doi.org/10.24574/jsahj.65.0_61 前期難波宮の内裏規模をめぐる一考察]」『 建築史学』65巻 建築史学会、2015年、62頁。</ref>。
|[[内裏]]全景。東西の八角殿院に挟まれた位置にあるのが内裏南門。その奥の内裏前殿、内裏後殿を経て内裏に至る。左奥にあるのは内裏西方官衙。模型では再現されていないが内裏東方官衙と対になっている<ref name="lee"/>。([[大阪歴史博物館]]・前期難波宮復元模型より)}}
'''難波長柄豊碕宮'''(なにわのながらのとよさきのみや)は、[[摂津国]]難波にあった[[飛鳥時代]]の宮。'''難波長柄豊崎宮'''、'''難波長柄豊埼宮'''とも表記する。学術的には、この宮跡に建てられた'''[[難波宮]]'''(後期難波宮)と区別して'''前期難波宮'''とも呼ばれる。
 
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現在、難波宮の跡地の一部は、[[難波宮史跡公園]]となり、[[大阪城]]の南に整備されている。前期・後期の遺跡を元に建物の基壇などが設置されている。
 
== 脚注 ==
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== 関連項目 ==