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=== ヨーロッパ ===
[[Image:Il Condottiere.jpg|thumb|200px|「コンドッティエーレ」([[レオナルド・ダ・ヴィンチ]])]]
古代ギリシア、ローマでは当初は市民権を有する者が自発的に軍に参加する[[市民兵]]が主力であったが、やがて市民兵制は衰退し、傭兵に頼る割合が増加していった。辺境の民族が傭兵となることが多く、北アフリカ諸部族や[[ガリア人]]など、のちに[[ゲルマン人]]の移動が始まると、これを盛んに傭兵として雇ったが、後には国境近辺に定住させ、[[屯田兵]]のような形にすることが多くなった。また[[マラトンの戦い]]で[[重装歩兵]]の威力を知った[[アケメネス朝|ペルシア帝国]]においても多数のギリシア人傭兵が雇用された時期がある<ref name="民間軍事会社の世界展開">{{Cite journal|和書|author=[[阿部琢磨]]|title=民間軍事会社の世界展開|journal=軍事研究2008年6月号|publisher=[[ジャパン・ミリタリー・レビュー]]|date=2008-06-01}}</ref>。兵士の不足したローマ帝国では[[ローマ市民権|市民権]]を得るために[[アウクシリア|補助兵]]となる植民市民や属州民が多数存在したが、[[カラカラ]]帝による[[アントニヌス勅令]]を受けてそうした自由民が市民権を得ると、兵のなり手が不足してローマ帝国はその兵力の多くを同盟部族([[フォエデラティ]])や傭兵に頼ることとなった。
 
中世においては、西欧の戦闘の主力は[[騎士]]を中心とした封建軍であったが、国王の直属軍の補強や戦争時の臨時の援軍として傭兵が利用された。傭兵となるのは初期には[[ノルマン人]]、後には王制の未発達な[[フランドル]]、[[スペイン]]、[[ブルゴーニュ]]、[[イタリア]]人などが多かった。ビザンティン帝国では主力として[[フランク人]]、[[ノルマン人]]、[[アングロ・サクソン人]]傭兵が使われた。この時期の傭兵は敵を倒して雇用主から得る報酬だけでなく、戦場での略奪や敵有力者の誘拐身代金なども収入としていて、戦争を長引かせるヤラセ戦争も行なっていた。傭兵の雇用は契約によって成立していたので、敵味方陣営に関わらず最も高値の雇用主と契約することなども行なわれ、「主君の主君は主君ではない」という言葉がこの時代の傭兵の立場を表している<ref name="民間軍事会社の世界展開"/>。国家は傭兵個人とではなく複数の兵士が集まった傭兵団([[フリーカンパニー]])と契約していたが、傭兵団も補強のため正式に叙勲されていない自称騎士([[黒騎士]])や[[フリーランサー]]の傭兵を雇い入れていた。