「ジャック・ドリオ」の版間の差分

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ドリオの煽情的な演説や宣伝・ドリオの個人的なカリスマもあって、結成当初こそ人民党は熱狂的な支持を得たものの、[[イタリア]]の[[ベニート・ムッソリーニ|ムッソリーニ]]政権から秘密裏に支援を受けていたことがマスコミで報じられると人気は失速し、加えて[[人民戦線]]への支持が強まったことからドリオ自身も国会での議席を失う。
 
[[1940年]]にフランスが[[ナチス・ドイツ]]に降伏すると[[コラボラシオン]]としてドリオは再度表舞台に登場し、[[パリ]]を拠点に対独協力の宣伝活動を行うと共に反共義勇軍を組織して[[東部戦線]]へと派遣して[[鉄十字勲章]]も授与された<ref>David Littlejohn, The Patriotic Traitors, London: Heinemann, 1972, p. 272</ref>。連合国軍のパリ入城でドリオはドイツへと亡命し、親独派の亡命政権樹立を目論むが、その途中で連合国軍機の機銃掃射で死去した<ref>(1945). "Jacques Doriot, French Pro-Nazi, is Killed by Allied Fliers, Germans Report." New York Times. February 24. p.4</ref>。
 
== 脚注 ==